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あじのきおく19『大人のよそいきランチ』

 親も私も結構な歳になったが、いまだに家族ぐるみの付き合いが続いている方が何人かいる。

 そのうちの一人がYちゃんだ。
 彼女は私より一つ下なのにとても賢い上に思慮深く、ぽやぽやしている私の方がよっぽど妹のような関係だったと思う。

 また、Yちゃんのお母様はいつもはきはきしていて行動力のある人だった。
 よくお泊りさせていただいたし、里帰りにもご一緒させてもらったり、年末に親戚で集まる餅つきにも参加させてもらったりと、思い出は尽きない。

 そんなYちゃんのお母様が闘病の末今年の春に亡くなった。
 間が悪い私はせっかく知らせを受けたのに風邪をひき、葬儀に出ることが出来ず不義理なままだ。
 申し訳ないなとおばさまのことを色々と考えているうちに、ああ、私は彼女から体験する機会をたくさんもらっていたのだなと気が付いた。

 その一つが、『大人のよそいきランチ』だ。

 あまりにも昔のことなので、記憶がおぼろげ(おばさまごめんなさい)なのだが、多分始まりは私たちが小学校高学年もしくは中学に上がるころの春休みだったと思う。
 私と母はとあるレストランへ招かれた。
 おばさま、Yちゃん、そして母と私。
 女四人のランチだ。

 ちょっとよそいきの服を着て、膝には布のナプキンを載せ、しゃんと背筋を伸ばしてコース料理を食べる。
 これが、おばさまからの『体験』の贈り物だった。

 三学期終了お疲れ様、次の学年も頑張ってねという激励の意味が込められていたと記憶しているが、Yちゃんはおそらくもうとっくに経験済みだろうから、半分は私のために設けてくれた席だったのだろう。
 高級ホテルのようにカトラリーがずらりとテーブルの上に並べられているような敷居の高い所ではなく、初心者に優しい家庭的な小ぢんまりとしたお店と配慮くださっていて。
 決められた順に一皿一皿色々な趣向を凝らされた料理をゆっくり出されるランチは、私にとって初めての経験だった。
 緊張しながらも、ちょっと大人になった気分でその時間と料理を楽しんだ。

 初めてはハーブをふんだんに使った創作イタリアンだったような気がする。
 なぜ『初めて』とするかと言うと、その後しばらく毎年春休みになったらこのランチ会が開催されたからだ。
 先日電話で話をしてみて私とYちゃんの記憶から掘り出されたのは、割と近くにあるイタリアンと、川の上流に向かって車を走らせたのどかな風景の中にポツンと佇むフレンチの二店のみ。
 他にもあったはずなのに、何年続いたのかすら思い出せない。
 私の勘では私たちが高校を卒業するあたりまで催してくださったのではないかと…思われる。
 一度は夜にフレンチを食べたような記憶がなんとなく頭の隅でもやもやしているけれど、これはまた別件だろうか。

 こんな恩知らずな私をお許しください。
 ただ、あの経験は本当に貴重なもので、格別の贈り物だったと今でも思う。

 日常から離れてヨーロッパの香りのする料理を頂く。
 これを早いうちに経験するとちょっと世界が広がるような気がする。
 母はとても勉強熱心で色々な料理を作ってくれたけれど、それはあくまでも家庭料理。
 食材も調味料も普段ある物を使って作られる。
 私の暮らした地域は小学生のころくらいまではオリーブオイルなどはまだ一般的な食材ではなく、イタリアンやフレンチの敷居をまたいで初めて口にできるものだったように思う。
 とにかく、ありとあらゆるものが初めましての連続だった。
 立ちのぼる香りも、盛り付けや彩り、そして味も。

 あと、このようなお店でのふるまいやマナーのようなものを実地で覚えさせてもらったようなものだ。

 教養の一つをおばさまから授かったのだと、この年になってようやく気付いた。

 当時の私は小食で。
 さらには思春期真っただ中。
 自己肯定感が低い上にとてもとても不器用で怠惰。
 まあとにかく色々挫折して、早く地球が滅びないかなとばかり考えていた。

 それでも、キラキラした料理の数々を口に入れて味わううちに、ふと、一年間身体にまとわりついていたものが剥がれ落ちるのだ。
 小娘のひねくれた感情なんぞ、料理人渾身の一皿であっけなくどこかへ飛んで行ってしまう。

 美味しいものを食べたら、または美味しいと感じることができる状態ならば、まあこの先も何とかなるということも、知らず知らずのうちに脳に植え付けられていたらしく、ゆっくりと開花していった。

 おかげで今、なぜか中世以降のヨーロッパの食生活についての本を集めてはその味に思いを馳せつつファンタジーを書いている。

 それに、気が付くと食に対する好奇心がかなり強くなり、知れば知るほど楽しくなってきた。
 そのようなわけで、怠惰な性根は変わらないけれど、とりあえず地球に呪いをかけることはなくなった。

 あの『大人のよそいきランチ』は、返す返すもとてつもない贈り物だったのだ。

 おばさま。
 ありがとうございました。

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