家族の想い

今日は実家のあるところの三条市が38.8℃で全国一の気温だったとか。

帰ってきてからでよかった。いや、夜は涼しいんだろうけど。母の体調も心配だ。気温差もあるだろうに。無理していないといいけど。

昨日の夜は、いとことLINEで通話した。

もう十数年?LINEのやりとりはあったけど、ここ最近はいとこのお母さん(わたしの叔母さん)と実家に行くこともあって、通話で話すことが多い。

不思議なのは、普通に話せること。いつも話しているように、ごくごく普通に。いとこが昔仲良かったからかな?というけど、どうなんだろう。

友だちでも、何年か会わなくて誕生日のLINEくらいでも、会ってかき氷だけ食べて、普通に話す人もいる。

同じいとこでも、なんかうまく話せない人もいる。波長みたいなものかな。

昨日は実家にいたときの叔母さんの話がメインだったけれど、どう思った?と聞かれたので、取り繕ってもしょうがないなと思って、いろんなことを素直に話した(病院で確定はされていないけど、認知症)。

周りの人は「すぐに病院に行け」という。わたしも同見解だ。医療従事者だった、一番下の叔母さんも、今はいい薬があるから、今なら進行を遅らせることも可能だと思う、という。

でも家族は受け入れられない。昨日、電話で話していたいとこは、病院に連れて行こうと思ってくれたみたいだけど、一緒に暮らして、普段お世話をしているいとこ(電話のいとこの妹)は、病院に行くのを反対している。

全部自分が面倒をみるから薬も飲ませなくていいという。

板挟みになってつらいのは、電話で話しているいとこだ。人の想いは人それぞれで変えることはできないけれど、一人で抱え込まなければいいのにな、と思う。

わたしは、家族ではなかったけれど、なんでも話せる人ができて、ようやく心の重荷を下ろすことができた。電話をしてきたいとこも、わたしに話して気が楽になったといってくれた。ありがたい。

でも解決はしていない。

病院に行くには、面倒を毎日みているいとこの同意が必要だ。彼女はその電話のいとこに、一緒に住んでないからわからないというらしい。一緒に住んではいなくても、ほぼ毎日仕事の帰りには寄っている。

周囲の人からお母さんを守ろうと必死になっている。

むずかしいなぁ、と思ったし、それしか言葉がなかった。お母さんの意思を大事にしたいというけれど、そもそも意思というものはないに等しい。

家族の想いというのは、むずかしい。

わたしだって、自分の母が同じようになったらどうなるかわからない。医療従事者の叔母さんでさえ、認知症の姉のことをみて泣いていた。母も複雑な想いだろう。わたしは少し遠い位置にいるから、冷静でいられた。

わたしにできることはなんだろうと考えて、今はいとこの話を聞こうと思った。つらいときにはいつでも電話で話そうといった。17日にも家に遊びに行くつもりだ。

つらいときには人に話したほうがいい。それはわたしが一番よく知っている。LINEでも通話でもいい。

みんなが幸せな方向にすすめばいいといいと思う。神様にお祈りしよう。

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