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あこがれの人に認知された日

すごくないか!

わたし、登場してるし、認知されてるよね!!!!?
(ヲタクは「あのファンサ絶対わたしだった!」という幸せ機能を搭載済み)

noteにもTwitterにもコメントくれた、優しい人だった。



というか、「いいねの数にとらわれてしまう人へ」というゆぴさんのノートの冒頭!!!

朝からこの記事を読みまして。

そうだよ!ちょっとでもいいねがついたらすごいんだぞ!!という気持ちになったわけなんだけど。

驚愕の連続なんだけど
⒈「朝からこの記事を読みまして。」に驚愕
え、朝から?なぜ朝ゆぴさんがわたしのnoteに気づくん?え、どうゆう世界?
と困惑してたんですけど。これは解決しました!
どうやらnoteのURLを貼ってnoteを書くと、貼られた人に通知がいくみたい。
(いや、ちょっと待て。ゆぴさんのnoteに登場した時は、そんな通知なかったな、、、。)

やっぱり謎じゃないか。たぶん数回紹介されていたら、通知はくるっぽいんだけどタイミングよく通知がいったんかな?
もういいや、わからんから次いこう。

⒉「そうだよ!ちょっとでもいいねがついたらすごいんだぞ!!という気持ちになったわけなんだけど。」に驚愕

すごくないか!!!?わたしのnote読んでるよ。

ゆぴさんが「お、読んでみよ」てなるタイトルつけれてたってことでいいですか?
すごいわたし!よくがんばった。

そして、共感を得ているというのがだいぶ熱いのにお気づきだろうか。

しかも、読んで「お、いいね。(ハートマークぽちっ)」だけでなく、
わたしのnoteにコメント→Twitterで紹介→ゆぴさんのnoteで紹介
というありえん手順を踏んでいる。

もう一生ないだろう経験を9月18日にしてしまった。


しかも文中にあるこの言葉。

わたしだっていろんな記事やブログを読むけれど、すべてをいいねやシェアするわけじゃない。

人間なので、普通に「めんどくさいな」と思って放置してしまうこともあるし、うっかりつけわすれることもある。

この言葉がよけいに熱いのだ。

わたしだってそうだ。インプットしたらアウトプットをセットにしよう、としたってついついめんどくなっていいねで終わってしまうことがある。

めんどい壁を越えたという経験をしたのだ。しかも、あこがれの人がしてくれた、という。


というか、そもそも絡みがないのにしてくれたってのが1番熱いんよ。
相当共感しないと知らない人にコメントなんて送れないよね?


もうなんかすごい1日だった。今日19日も余韻があるし。
この波をうまく乗りこなせずもったいないことしちゃうのがわたしなんだけど、それはもう諦めよう。

・こうやって人は人を好きになるんだろうな〜
・これが世に作品を出す楽しさか〜
・これが推しがよく言っていた「自分は変わってないのに、周りが変化してる」状態なんかな〜
・ネットってすげぇ!
と、いろんな経験ができました。

すごいね。本当に。わたしはいつもと同じ日常送ってたのに、わたしのnoteアカウント的にはすっごい刺激があったと思うんだよね!

刺激をリアルで感じれないから実感は薄いままだけど、一生モンの経験をした。

ゆぴさん、ありがとうございました。

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