期待はおもしろを追求するもの
最近であった考え方に「(他人に)期待しないので、怒らない」というのがあってとてもいいなと思い採用している。
「期待しない」というと冷たい印象を受けるけど、それよりも「怒らない」というのがいいなと思ったポイントだ。
「期待してるから怒る」という言葉をよく聞く。怒られて、泣いてふてくされてるとなぐさめの言葉で言われたような気がする。
なんか「怒る」ってそんな高尚じゃない気がするんよね。
わたしの怒るのイメージは、「言葉では言うこと聞いてくれないから、怒ることで強制的に従わせる」って感じ。
そう考えると、怒ると暴力て似てるな〜。
人に暴力振りたくないから、期をしないでおこうって思ったんよね。
こっからが本題で、そう思ってるんだけど、相手の期待には応えようとしてることに気づいたんよね。
ダメ出ししてください!と言ってお願いしたのに、実際にダメ出しもらうと「あーわたしなんてダメだ」「やっぱ無理だよ、できない」と普通にメンタルやられるっていう。
メンタルやられるって「期待に応えたい」と思ってる証拠だと思うんだよね。
ダメ出しいただいて、「じゃあどうしたら期待に応えられるか」て無意識に考えてたから、絶対そう!
でも、期待なんて目に見えないじゃん。言葉で表せるものでもない。
それに期待通りに応えてる限りは、超えられなくない?と思ったんよね。
期待に応えることよりも、斜め上の「たしかに。この方法もあるじゃん」というものをお届け出来たら、期待にも応えられてるんじゃないかと思ったわけです。
斜め上のものを提供する=期待だったら、おもろいし、できそうだなと思ったのでした。
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