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「嘘つき」と「ノンフィクション」と「トリコロール」

みなさん、『Pripara Friendship 2020 パラダイストレイン!』観ましたか?
おれは観ました。応援チケットを買って観ました。プリパラをいっぱい応援したいので。

今回のライブの目玉は、なんと言っても緑風ふわりの新曲『パルプスノンフィクション』のお披露目ですよね!(正確に言うと目玉はあと7億4000万個あったがそれを全て書き出すにはインターネットは狭すぎるので割愛します)

当たり前のことながら『パルプスノンフィクション』はまだ音源化されていないため、正確な歌詞やメロディーは自分の頭と心の中にしか存在していないですが、それを振り絞って感じたことを書き留めておこうと思います。
今回書いておきたいことは「『パルプスノンフィクション』と『嘘つきはtomorrowの始まり』の対比性と、そこから見えるトリコロールというユニットの在り方について」です。

じゃあ、本題はいります。

『パルプスノンフィクション』について

青空が見えるようなナチュラルで素晴らしい歌でしたね…

歌詞についても、「自分が生きてきた環境をそのまま受け入れれば、ありのままの自分になれる。みんなにもそれを感じてほしい。」っていうメッセージが込められているように見えて、実にふわりらしいいい曲だと思います。
(「どうして雲はあんなに いろんな形になれるの?まるで歌みたい どんなメロディーになっても 私の声のまま」っていう歌詞が好きなんじゃ…)

でもさ、それだけじゃないんだろ?わかってんだよ、プリパラくん…この曲がただの名曲ではないことくらい…悶々と考えることが大好きな厄介なオタクを満足させてくれよ…

という訳で他の気付きを得るために、ふわりと同じユニット、トリコロールの一員である紫京院ひびきの『嘘つきはtomorrowの始まり』についても見ていきましょう。

『嘘つきはtomorrowの始まり』について

この記事を読んでいるトモダチの諸君は既にご存じだと思われますが、この歌は2019年のプリパラライブ、「プロミス!リズム!パラダイス!」で発表された紫京院ひびきのソロ曲です。

こちらについては歌詞がwebに掲載されているので、引用させていただく。

タイトルからして、『パルプスノンフィクション』と対比がなされているきがしますね。「ノンフィクション」と「嘘」。

『嘘つきは~』は、ロックンロールな曲調と、英語がふんだんに使われた歌詞によって洒脱なイメージを纏った曲です。
メッセージとしては「所詮嘘とまやかしに塗れた世界(舞台)だったら、全力で演じてこの世界を愛しきってやる」っていうひびきの覚悟が感じ取れるような気がしました。あくまで私は、ですけど。

このメッセージ性についても、『パルプス~』と『嘘つきは~』で対比がなされていますよね。「ありのままの世界と自分を受け入れる」ふわりと、「嘘の世界を演じ生きて自分を作る」ひびき。
ここは本編を見ても汲み取れる部分なのかなって思ってます。

2つの曲の対比と『トリコロール』

上で語った部分以外にも、諸々と対比構造になっているように見受けられる気がします。

ふわりは歌詞に「みんな」という単語が頻出しますが、ひびきは登場人物が「キミとボク」だけだったり。
曲調も牧歌的なふわりと情熱的なひびきとでは対照的ですしね。
田舎のイメージと都会のイメージっていう点でもそうかも。考えると他にも色々ありそうですね。

こうやって考えていて思うのは、ふわりとひびきは本当に正反対の信念を持って歌っているんだなぁ、ってところです。
で、そこで重要になるのは、この二人がトリコロールという同じユニットのアイドルであること。

トリコロールっていうのは、「全く異なる3色の組み合わせ」っていう意味だそうです。
どんなに信念(色)が食い違っていたとしても、アイドルになれるし、トモダチになれる。交わることのない3つの色がひとつのユニットとして、そしてトモダチとして在ること。プリパラがずっと伝えてくれたその素晴らしさ。それを今更ながら思い出しました。

放送が終わってからもきっと、二人はトリコロールとして活動してきたんだと思います。でも、いや、だからこそ、今ここで、全く違う信念を乗せて、彼女たちは新しい歌を届けてくれました。
こう考えると、やっぱりトリコロールに欠かせない"もうひとり"の新曲も聴きたいですよね…頑張って応援するから、何卒…!何卒………!

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