必要性の重要さ
最近数年前に書いた記事も読んでいただけるようで密かに嬉しいたつろうです。
最近はタイネタが多かったので今回はマインド面の気づきを書きたいと思います。
こういう気づきが生まれることって人と話した後に生まれることが多いので、なんか興味あればお話することも大歓迎です!!w
という理由で『必要性』について語らせてください!!!
最近英語を勉強しています。
というのも、タイに続き、ベトナムに来て英語話したいな〜と思うようになったからです。
そう思うとSNSのショート動画でも英語のコンテンツが目に留まるようになります。
特に、街行く人に声をかけてちょっと仲良くなって連絡先を交換する。
みたいな。。。
連絡先を交換したあとにどうなっているかはさておき、この一コマになんだか憧れがありました。
でも、何に憧れがあったのかとよくよく考えてみると、別に憧れでもない気もしてきました。
それでも、こう考えるまではこの憧れが勉強のモチベーションにもなったりします。
そこに求めるものがあるか
いざ、道端で会う人に話しかけるのは勇気がいります。日本語で知らない人に話しかけるのも勇気がいるのに、英語で話しかけるとなると更にハードルが上がる気がします。
この勇気の度合いは人によって大きく変わるかもしれませんが、特に用もないのに話かけることには苦手意識を感じています。
なのに、トイレを探しているときや困っているときは勇気がいるとか考えることなく話しかけることができることに気が付きました。
相手が同じであれ、必要性があれば声をかける。
必要性がないのに話しかけたいと思うと謎の勇気を必要とするというものでした。
勇気に頼るか、必要性を磨くか
トイレの例から少し離れ、よくある勉強のシチュエーションで考えてみる。
何かを学習するときにわからない問題があるとする。
近くに聞ける環境があるがあまり親しい人ではないから気軽に質問できない。
そんなときに勇気を振り絞って聞くか、まあいいかと流してしまうか。
この小さな選択で勉強ができるようになるか。
そして、勉強が楽しいと感じるか、志望校に行けるか、、、、のように目の前では小さな選択でも実は大きく人生に影響を与えているかもしれない。
何度も言うが、勇気がある人やそもそも勇気が障害になっていない人にはこの話題は関係がないだろう。
勇気が問題の場合は、必要性を明確にすることが大切だ。
「目指している職に就くためには絶対に志望校に行く必要があり、目の前のテストで少しでも良い点を取る必要がある」
となれば、先程のトイレを探すかのように聞く以外の選択肢がなくなるのだ。
必要性がないと
仮に全てに必要性がないとどうなるかを考えて見る。
全てを身の流れに任せ、いつも同じ選択、同じ環境、怠惰な生活、負のサイクル、流された人生が目に浮かぶ。
それが嫌なら必要性を自分で持つ必要があるのだ。
必要性に気づけないといつまでも同じ
なんとなく目標を決めたって本当にそれを達成したいと思わなければ叶わないのと同じで、なんとなくやろうとしたって身が入らない。
そこに今やる必要性がないからだ。
今やらなくても未来の自分がなんとかしてくれるだろう。
誰かが助けてくれるだろうと逃げることになる。
逃げ続けている限りはいつまで経っても変わらないのだ。
やらない理由を探していないか
やらない理由を探している時点であなたはそのことに惹かれています。
あなたが絶対にやりたくないことを想像してください。やらない理由を探すまでもなく、なぜやらないかが分かるはずです。
やりたいけどやらない理由を探しているものは、時間やお金、他人などの自分以外のせいにするために理由を探していないかを考える必要があります。
もしかしたら本当に今はできないことなのかもしれない。それでもやらない理由を探すのではなく、「どうしたらできるかな〜?」って考えるような人生が楽しいんじゃないかな?
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