【天邪鬼】
数十年前。
夜空を見上げた人々は、口々に言った。
『星の見えない、真っ暗な空だ』
眠らぬ街の灯りが、夜空から星を奪ったのだと。
その後、歴代のリーダーたちの尽力で、街の夜空は数多の星々を取り戻した。
されど老人は言う。
『ああ、なんて寂しい夜。ネオンライトが輝く、古き良き街を返して』
***
「これって、天邪鬼(あまのじゃく)の仕業かしら?」
隣に座る怪異部員、九十九神百花(つくもがみ・ももか)が懐疑的な視線を僕へ向ける。
「そのようだ」
同じく怪異部員の僕――遍句天音(あまねく・あまね)は彼女の意見を肯定する。
僕ら怪異部はレポート作成のために、図書館で調べごとをしていたのだ。
天邪鬼。
影響を受けた者は、多数派の意見に本能的に逆らう、本音とは違うことを言ってしまうなどの怪異現象に侵され、次第に孤立するという。
「この老人は恐らく、その昔は星が見たいと言っていたに違いない」
「多数派に反対してしまうという、天邪鬼の性質には当てはまるわね」
ああ言えばこう言う人間の多くは天邪鬼の仕業によるところが大きい。当人たちも好きでひねくれている訳ではないのだ。
「しっかしまあ、怪異部の月一レポートも楽じゃないわね」
「僕も、適当なオカルト話をでっち上げでもすれば済むかと思っていたよ」
怪異部。
それは僕ら二人が所属する部活の名称である。
楽そうだと思って入部したところ、次々と実在する怪異に翻弄される毎日だ。
「最初はこんな部があることこそ怪異だと思っていたのだけれどね」
「まさか、こんなにも大変だとは思ってもみなかった」
はあ、と二人してため息をつく。
「で、どうする?」
伸びをし、息抜きを終えた彼女は僕に問う。
「そうだな。まだこの老人が天邪鬼の影響を受けていると断言できない」
それからしばらく、図書室での証拠文献集めに時間を費やした。
***
放課後、作業を終えた僕らはそれぞれ帰路につく。
結論から言うと、あの老人は天邪鬼の影響を強く受けていることが証明できた。
裏付ける資料は揃ったため現段階でもレポートは作れるが、今一つ決定打に欠ける。過去の文献に書いてあるものをまとめたものだけでは不十分な気がする。
僕や彼女が良くとも、怪異部の奇天烈顧問がそんな退屈なレポートを許してくれるとは到底思えない。今の状態でレポートを見せても、「なんだこのつまらないレポ。私を舐めてるのかっ。きーっ!」とか言いながら突き返されるのがオチである。
どうしたものかと考えつつ、夕陽に照らされながら下校道を歩いていると、公園のブランコにたたずむ寂しげな男子生徒の人影を見た。
「……」
きい、きい、とブランコを漕ぐ姿はなんとも哀愁が漂う。
「やあ」
「うおっ!?」
僕の声に驚いた彼。クラスメイトの天野(あまの)だった。
「……なんだ、アマネクじゃないか」
一応覚えてくれていたらしい。
ちなみに僕を「アマネク」と正式な苗字の読みで呼ぶ人間はそういない。
大概が「アマネクン」か「アマネ」である。
「何か、用?」
「僕も久しぶりにブランコを漕ぎたくなってね」
というのはもちろん口実で、昼間のことについて聴きたいことがあったのだ。
***
時間は今日の昼間にさかのぼる。
場所は我がクラスの教室。
天野は、学級での話し合いで意見を述べた。
議題は文化祭の出し物について。
我がクラスはお化け屋敷を出店することになったが、どんな仮装をすればお客さんを驚かせることができるだろうかとアイディアを募った。
『……天使の仮装でもすりゃあいいんじゃねえの』
天野の口から出た「天使」というアイディアに対し、お化け屋敷のキャスティングとしては想像し難いのか、数名から批判的な声が上がった。
『ないない』
『冗談言ってる?』
『真面目にやれよ!』
いつも声の大きい男子生徒達だった。彼らは仲良しメンバーに対しては優しいが、そうでない人間にはきつめに接する。簡単に言うと、天野を毛嫌いしている。
批判の声に対し、天野も――。
『……そもそも、お化け屋敷自体がナンセンスだろ』
と身もふたもないことを言い出したものだから、クラスの空気が一瞬凍りかけた。
事態の悪化を危惧した文化祭実行役員が、ぱん、ぱん、と手を叩き場を制す。
『はいはい、そこまで。とりあえず男子3人、人の意見を否定するなら代案出して。それから天野も、それ言い出したらそもそも文化祭自体ナンセンスなんだからね!』
ははは、とクラスに軽い笑いが起こり、その場では事なきを得た。
結局、ミイラ・幽霊・吸血鬼というありきたりな仮装のアイディアだけが出て、『これだけじゃ足りないから各々宿題として考えてきて!』という実行委員の声で今日の話し合いはお開きとなった。
***
場面は夕暮れ時の公園に戻る。
僕と天野は変わらずブランコをこいでいた。
「俺もあんな風に言うつもりなかったんだけどさ。どうも皆と違う意見を言いたくなるんだよな」
――なるほど、彼は天邪鬼に毒されているらしい。
思いがけずタイムリーな怪異に出くわした。
「しかし、話し合いとはそうあるべきだと思うけどな」
怪異については伏せ、話を進める。
僕としては、たとえそれが天邪鬼の影響だったのだとしても、天野のような姿勢は嫌いではなかった。
同じ意見ばかり、肯定意見ばかりでは、質の向上は望めない。反対意見含めいろんな人のいろんな考えに揉まれることで、磨かれるものもある。
「良いものを作るために対話があると思うんだ」
「でもさ、結局のところは皆で決めたことを信じてやるのが大事だろ? ま、誰も肯定しないし、肯定されようともしない俺が言うのも筋違いだけどよ」
きっと天野はやけになっているのだろう。
思い立った僕はブランコを降り、彼の前に踊り出た。
「悲観することないさ。君の意見、名案だと思うよ」
「え?」
「天使の仮装のことさ」
***
その翌日。
「昨日の天野くんの意見ですが――」
昨日に続き開かれた会議にて、僕は彼のアイデアを肯定した。
「正気か?」
と先の男子3人組から意見が上がり、つられて数人が批判的な姿勢を示している。
「皆さんがそう批判するのも無理はありません。天使とは一般的に、聖なる者の使いです。恐怖心を煽る存在としては機能し得ない。……可能性は存分にあります」
しかし、だからこそと僕は続ける。
「目から血涙を垂らした天使、であればどうでしょう?」
おお? と、手ごたえのある反応がちらほらと上がる。
「翼が折れ、衣服が破けている天使なら?」
僕の提案に、「確かに」「アリかもしれない」「確かに、普通に怖いな」と賛同の声が広がる。
神々しいものがグロテスクに彩られている様は、万人に不気味な印象を与えるに違いない。
「ちょ、ちょっと待った」
が、それに反対する声が。3人組のリーダー格の男子だった。
「どうしましたか?」
「それだけのクオリティのものを作るとしたら、けっこうな労力が必要じゃないのか?」
それに賛同するように「確かに。塾の時間削るわけにいかんし」「俺、部活で忙しいからな」という声が飛ぶ。
「各々、都合もあるだろうし」
割とまともな意見で安心した。もっと無茶苦茶なことを言われると思った。
「衣装代や作成の時間にコストはかかるかもしれませんが、皆で力を合わせれば大丈夫です」
そう、君たちの大好きなみんな仲良く力を合わせて協調性を持ってやってくれれば全然イケる。
「それにほら。文化祭の準備期間って、まさに青春じゃないですか? 難しいことを成し遂げようとするほど、僕らの絆は強くなると思います」
……だなんて言うけれど、個人的には絆だの青春だのに興味はない。
ただ、このクラスに一定数いる「文化祭の準備期間で仲が深まることを期待している」友達以上カップル未満のペアやら「なんでもいいから青春してぇ!」という層に対して効果的だと踏んだ上で、発言してみたところだ。
そんな思惑通りに功を奏したようで、「確かに青春と言えば文化祭の準備だよな」「やべえ、ちょっと楽しみになってきた」「イイこというじゃんアマネクン」と同意の声が上がる。
対してリーダー格の男子からは反対意見も無く、
「……確かにそうだな」
と納得してくれた。
「では、ボロボロの天使の仮装に賛成の人~?」
実行委員長の発言に、クラスの大半が挙手をする。
かくして天野のアイデアは採用となった。
僕は天野にしてやったり顔で振り向くと、何とも言えないひきつった笑いを浮かべていた。
***
そして本日。
文化祭から数日後の今日、僕ら怪異部はレポート提出のため職員室を訪れていた。
「天使の仮装を取り入れたことで、お化け屋敷の催し物は好評のうちに終了。
あえて天使のような神々しい衣装を来たキャストを交えることで恐ろしさを助長させる、という怪異被害者の案が見事に功を奏したことから、天邪鬼の引き起こす怪異に対しては憎むべき敵ではなく、イノベーターとしての可能性を秘めた存在として肯定的に接し、有効活用することが望ましいと結論付ける、か。
……まあ、及第点にしといてやる」
レポートを読み終えた彼女――怪異部の変態女性顧問たる八戸乙女(はちのへ・おとめ)は、ふふんと笑みを浮かべた。
「来月のレポートも期待しているぞ。文化祭の文集の売上、部費として使っていいから」
「「ありがとうございます」」
僕ら怪異部の二人は、多忙(自称)の身の上である顧問に頭を下げると、そそくさと職員室を出た。
***
「でもさ、なんで助けたの?」
部室へ向かう廊下にて。
「放っておいたってなんとでもなったでしょうに」
九十九神がどうでもいいことを聞いてきた。まったく、つまらないことを聞く。
「助けたとかじゃないよ。たまたま、都合よく目の前に怪異に侵された人間が居たってだけ。面白い話のネタがあったってだけのことさ」
「……他人事だと思えなかったんじゃなくて?」
といたずらに笑う彼女。
「うるさいな」
と頭を掻く僕だった。