もう少しで

 たまにはとりとめのない文章を書いたっていいだろう。そこ、「たまには?」とか言わない。
 100本書くまで作家と名乗ってはいけないというルールを課し、書き始めた小説の本数もあと少しでいよいよ100本だ。
 自分に課したルールからすれば、これを達成すれば俺は晴れて作家と名乗ってよいことになる。
 ツイッターのプロフィールだろうと、カクヨムのプロフィールだろうと、もちろんnoteのプロフィールにでも作家と記載して良いことになる。
 この挑戦を始めた当初の俺は、どのような気持ちだったのだろう?
 理由を明かすにはまだ早いけれど、少し、恥ずかしくなる。
 思えばこの挑戦を始めたころは、自分がどのような小説を書きたいかとか、どんなふうにこの企画と向き合っていこうだとか、漠然としていた。
 ただただ、何かに継続的に取り組むことは素晴らしいと考えていて、それがたまたま創作で。それでいて、小説だった。それだけだ。
 小説なら絵が描けなくてもできる。動画作成できなくてもできる。写真撮れなくてもできる。話すのが苦手でもできる。文章の読み書きさえできれば、なんとか。
 ……書いてみてわかるが、俺は非常に消極的な理由で小説を選んでいる。消去法で小説なのだ。
 こんなの、世の中の小説家と呼ばれる方々が間違ってこの記事にたどりついて読みでもしてしまえば、眉をひそめるに違いない。ところで、眉をひそめるの使い方は、これで合っているだろうか。こんなことを聞く時点で、眉をひそめられるだろうか。ごめんなさい。
 そう、話が脱線した。常日頃、話が脱線しがちな上司に辟易しているくせに、いざ自分の話となれば大いに脱線してしまう。駄目だなこりゃ。
 で、何の話だったか。そう、この挑戦の話だ。
 この挑戦を始める前の俺は、実にくだらないことに執着していたのだと思う。
 ただ、この挑戦を始めた俺は、本当に良い選択をした。
 お前が選んだ挑戦は、間違いなく今の俺を豊かにしている。
 2022年9月だったか。この挑戦を始めたのは。
 ひとりで楽しめる娯楽、自分が主人公になれる世界。
 それが創作だ。
 現実世界と違って好き放題やれる。すべて自己責任だし、何やっても良い。厳密には違うのだろうけど。
 面白くない作品は評価されない。面白い作品は評価される。書けないと悔しいし、書けても納得いかなければ悔しい。評価されなくても悔しい。
 そんな超自由な世界に飛び込んだ俺は、初めはそのつまらなさに打ちひしがれていたように思う。
 ひとりで何かを続けられる人間で、評価とかされなくても平気で、淡々と継続できる人間だと自分のことを過大評価していた。が、それは間違いであったと思ってしまった。
 数千字ちょいの短編なんて全然書き進められなかったし、面白い作品を描こうとすると全然筆進まないし。
「創作? 何それ。美味しいの?」
 状態だ。自由なはずなのに、自分で自分を不自由にしている。そんな状態だったのだろう。本当につまらなかった。
 そんなとき、ふとやり方を変えてみた。
 毎日140字小説を欠かさず書くようにしてみたのだ。
 さらにはこれまでnoteやTwitterのみでの公開にとどめていたところ、カクヨムやインスタグラムなどにも乗せるようにすると、様々な人から評価を貰うことができた。
 そのことが、すっごく嬉しかったのと同時に、自分に対してすごくがっかりした。
「俺、誰かから評価されないと、続けられないんだな」
 って。
 自分で楽しいと思っていることでさえ、誰かから面白いねとか、創作頑張ってねとか、そういった何かフィードバッグ的なものが無いと、本当にやってられなかったのだ。
 それが長編とか書けない理由でもあるし、書くのがつまらないと思ってしまう理由でもある。自分で自分を評価できない。
 そのあたりの自分の駄目さ加減に気付いてから、なんとなく楽しくなってきた気もする。さらには、なんだかたくましさも身に着いてきた気さえする。
 書けない自分にただ絶望するのではなくて、だったらどうしようとか、何をどうすれば楽しめるのだろうとか、色々考えるようになった。
 ただ面白い作品を書くことが大事なわけでもないし、更には世の中の面白い作品や面白くない作品が、どのようにして生まれてくるのか、少しばかり考えを巡らせるようにもなった。
 ここで結論、ずっと書いていることこそが正義だとか、長編は一気に書き上げるのがベストだとか、そういった創作論のひとつのノウハウを述べてしまうのは本当に良くない気がするし、まったくもって意味も無い気もするけれど、あえて言うのならば、割とありきたりな話で、
「誰でも最初は初心者」
 とか、
「打席に立った分だけヒットの確率が上がる」
 とか、
「上手いことやろうとすると力んでかえってうまくいかない」
 とか、そういった世の中のあるある的なことが、創作にも通じているというところだろうか。
 小難しい理論よりも何よりも、まずは書きたいこと書いてみようよ、的な。そんな論とも言えないような根本的に大事なことを大事にするべきなのではないだろうかと思ったり。
 ああ、なんだか説教臭い感じの文章になってきた。俺はこういう文章を書きだすと、大概上手くいかなくなったりする。
 ノウハウをまとめると、途端に後からの文章はつまらなく感じる。俺、口ほどにもねえな、って自分で思ってしまうんだよなあ。
 なので、ノウハウみたいにしてまとめるのはちょっと怖いのでやめておいて、コツとして、毎日書く、沢山書く、人生はノリと勢いでなんとかできることも多々ある、みたいな感じでまとめてみたいと思う。
 それにしてもすごいなこの文章。今の自分では言いたいこと言いまくってすっきりした文章な気がしているのに、後から読み直すと多分、よんでいるうちに気分が悪くなって吐き戻すのではないだろうかとすら思えるほどにぐっちゃぐちゃだと思う。
 まあでも、ところどころ良いこと言ってると思う。リラックスして書いているときは、割と良いこと書けたりするのが不思議だ。そのあたりからも思うのだが、
「この作品は大ヒットさせる」
 って意気込んで本当にヒットさせるヤツってのは本物だと思う。
 そういう人たちをプロと言うのだろうか。
 だとしたら俺は、どこにいても何をしても、プロになれない気がしてきた。
 狙ったら緊張する。力が入って楽しく文章が書けない。
 これもこの挑戦で学びえた、ひとつの真実なのだろうか。
 まあもう少しでこのグダグダとしたひどい記事も3000字を超えそうなので、今回の挑戦で学びえたいくつかのこととか、挑戦して本当に良かったこととか、読ませるための文章は100本書き終えるであろう数日後にとっておくとして。
 この記事はここらへんで終わっておきたいと思う。
 ここまで読んでいただいた方には本当に申し訳ございません。
 本当に読んで欲しいというか、読みやすいのは数日後にアップされるかもしれない方の記事でございますので、どうか、どちらかというとそちらの方をご一読いただければと思います。
 今日書いた文章は校正とか推敲とか一切せずにアップするつもりでいるので、読みにくいとか以前にもう読んでもらうつもりすらない、思考をほぼほぼ、ただただ垂れ流しただけの文章でございます。
 もうほんと、小説だけ書いてた方が良い気がする。論文とか、その手の文章だと学が無いのがバレそう。いや、小説読んでも馬鹿なのは多分伝わってしまうけれど。
 馬鹿なのは、ほら、バカと天才は紙一重だとか二重の極みだとかなんとか言うし。良いのかなって。終わり。

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