Twitter上での議論もどきについて好き勝手言うだけ

半年ほど前にTwitterをやめた。理由は、毎日のように発生する表現規制に関する議論もどきに嫌気がさしたから。

最初は私もあの議論もどきに参加していたよ。規制派・規制反対派のどちら側にも立たずに、間違ってる意見を指摘して、正しいと感じた意見を広めようとする立場として。そうすれば、議論もどきから一歩上の何かには昇華できるんじゃないかと思ってたから。

今思うと、本当に馬鹿なことしてたなぁとしみじみ感じる。

Twitter上でのあれは、「議論もどき」と呼ぶのもおこがましい。ただの良い子ちゃんの皮を被った正義中毒者たちの制裁合戦に他ならない。意見を指摘されて別の視点を持った人間が、安い煽りに乗せられて暴れ回る様を幾度となく目にして困惑したよ。まぁ、私もそのうちの一人だったわけですが、今思うととても恥ずかしい。

あれはまともじゃない。規制派も反対派も聞こえの良い言葉を恣意的に利用しているに過ぎない。

まず表現規制派の意見をまとめると、                                                         ・子どもに悪影響があるから、漫画やアニメの表現は規制すべきだ。  
・親は24時間子どもを監視できるわけではないのだから、監視してなくても安心できるような作品作りを心がけるべきだ。
・表現規制反対派は、子どもに悪影響を与えることを良しとする外道だ。

と、大体こんな感じ。

この規制派の意見は、「子どものために」「子育てしやすい社会のために」を主軸に置いてるから、一見すると賛成したくなってしまうのだけど、よく見てみると正当性がほとんどないことが分かる。

一つ目と三つ目の意見は特に論外だ。
「規制すれば悪影響がなくなる」
なんてのは、根拠に乏しい妄想でしかない。
そんなもの一部のオタクがよく口にする、
「漫画のセクシー描写で読者の欲求を解消することが犯罪防止に繋がるんだ」
などというトンデモ理論と同レベル。
「影響」という言葉を、主観と妄想でイメージしているからそういった考えが生まれるのだ。

子どもが友だちにアンパンチしたらアウトなのか?

答えはNOだろう。重く捉えるべき問題であるのは確かだが、規制という誰も得をしない手段よりよっぽど有効的に教育できるチャンスが生まれたのだ。そこは親の頑張りどころだろうよ。自分の子が人様の子に暴力を振るったという事実を、他のものに擦り付けるのはやめるべきだ。

そもそもこういった暴力を振るう前に対処したいと思うのが普通だろうが、

それは表現者側が気にすることではく、親が注意を払う場面だ。

子どもを24時間監視できる訳ではないという意見もあるが、漫画やスマホを買い与えてテレビも自由に見せたうえでそんなこと言ってるのであれば、もう親やめたらと思う。

そもそもの話、規制派は規制を設ける際の明確な基準は持っているのだろうか?
「暴力的なものはダメ!少しでも露出が多いとダメ!」
と言うばかりで、じゃあ具体的にどうすればよいのかを聞くと

それは表現する側が考えることだ

と恥ずかしげもなく言っちゃう輩が多いこと多いこと。人の足を引っ張って転ばしとして、後のことは自己責任とかいじめっ子よりタチ悪い。

公平な基準もなくクレーマーが独断で規制を求めるのは、表現者側からすれば永遠に首を絞め続けられるようなものだろうに、規制派たちはその自覚もなく、自分たちが正義であるかのように振る舞う。そんな正義があってたまるか馬鹿者め。

と、ここまでの規制派に対する熱い悪口から、私が規制反対派であることはほとんどの人間が察したことだろう。私も、規制などしたところでメリットはなにも無いことを知っているし経験もしているから、規制派の言うことには賛同できない。

しかしながら、だからといってTwitter上の反対派に賛同できるかと言われたら、絶対にそんなことない。

すでにちょろっと触れたけれど、反対派の意見で、
・セクシー描写が犯罪防止に繋がる
というものがある。

これは主に小児性愛者を基準に考えられたもので、
「子どもとのH」のように、現実だと到底できないけど実際にやってみたいことを漫画で代わりに描写することで欲求が満たされ、現実で子どもに手を出さなくなるという理屈だ。

まぁ、


んなわけねぇだろ。

としか言えんわこんなん。

別に私はショタコンでもないしロリコンでもない。そういったものに嫌悪感があるから、理解もできない。でもそういったものがアニメや漫画、映画のなかで肯定されるのは構わないと思っている。


場所さえ選べば、表現の自由は否定されるべきではないからだ。

だから本来、Twitter上で身勝手な規制を要求する奴らは馬鹿なのだ。そいつらの意見はいくらだって指摘できるし、やろうと思えば子どもを盾に好き勝手言う腐った根性を否定することだってできるはずなのだ。

それなのに、正しさを保てるはずの人間まで腐ってどうするよ。


そうやって変態を拗らせたこと言ってっから馬鹿な規制派のつけ込む隙が生まれるって分からんのかいな?


否定派ってだけでこんなのと同類扱いされるとかたまったもんじゃないけれど、何よりいちばん怖いのは、

この程度の意見しかでてないやり取りでもTwitter上では「議論」として扱われてしまうところだ。

この認識は嫌いなものを否定するうえでは役に立つかもしれないが、より良い真実を考えるうえでは邪魔でしかない。

Twitter上で議論を試みること自体無駄ではあるが、正義中毒のせいでどうしてもやめられないというのであれば、双方ともこの認識だけは持たないようにして欲しい。鬱陶しいから。


ちなみに、ヒスの突撃が怖いから補足するけど、「馬鹿な規制派」ってのは規制派全体に対して言ってるわけではないので悪しからず。まぁ、読んだ人間の9割は言われなくても分かると思うけど、一応ね。






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