黎明期時代の原発作業員の死亡事故について①

 原子力発電所を日本に入用を可能にさせた政治家といえばA級戦犯でもあった正力松太郎国務大臣で、またこの人物は1923年に起きた関東大震災時には朝鮮人虐殺についても関与していたという、私から考えれば日本の大犯罪者の一人として裁かれるべき人物でもあったと思うのです。
 以下はウイキペディアから抜粋したものです。

 さて、この正力松太郎については後に書くこととして、今日から何回かに分けて原子力発電所が黎明期時代と呼ばれていたころの作業員の被曝死亡事故も含む原発構内での死亡事故を政界で取り上げた政治家の一人に、当時の社会党に入党していた楢崎弥之助氏が1966年7月から1977年3月まで調査されています。

 これが、正力松太郎の言う原子力発電が産業としての平和利用なのでしょうか…そして、ピカドンは思い出だけにとどまっているでしょうか

 広島や長崎での原爆投下によるヒバクシャは現在でも苦しんでおられる人たちもいます。


 そして、さらに現在の原子力発電はふたたび勢い取り戻し、所内では被曝事故や死亡事故が増えつつあります。
(つづく

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