福田村事件は朝鮮の人たちへの憎悪から始まった。(動画差し替え)

前記事からの続きとなりますので、あらためてお知らせしておきます。

  1923年9月1日に起きた関東大震災直後から始まった当時の日本で労働し、生活をされていたおもに朝鮮の人たち中国の人たち、そして標準語を話せない日本人も虐殺したのが、今の千葉県野田市三ツ堀(利根川近く)で1923年9月6日午前11時過ぎに香川県から薬(頭痛薬、風邪薬)や日用品を大八車に乗せ行商に訪れていた15人で、話す言葉が違う事で福田村と隣の柏市田中村自警団竹槍や銃、日本刀、とび口などで虐殺に及んだというのが福田村事件で15人のうち。9人もしくは10人が惨殺された事件で、あるいは福田村の虐殺とも言われ、いわゆる、朝鮮の人たちへの憎悪が剥きだしとなった事件だと私は考えています。

 そして、この虐殺事件も昨日書いた「海軍船橋無線電信所」からの各地方長官宛ての電信文が村民に広めらた結果の事と十分に考えられます。

 さて、今回「福田村事件」についてドキュメンタリー映画監督の森達也監督劇映画として作品を創られ9月1日から全国で上映が始まっています。

 そして、千葉県下においての上映館は以下の4ホールのみとなっています。

千葉県は、やはりやる気がないのでしょうね。60万人中核都市の船橋市は当然、上映は行わないでしょう。何せ、流言卑語のデマを発した海軍船橋無線電信所の記念碑まである兵站の街ですから、その隣の軍隊づくりの習志野市もそうでしょうね。
 私はこのような事件が何故起こったのかの主な要因は当時の天皇制であり、それを現代でも引きづっている日本人の民族感情と意識が怖いと思っています。






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