コロナ禍をまとめてみる3|記録と政治批判

非日常が日常になってきた。自分で作った時間割に沿って生活することに慣れてきた。人間って、どんな状況下でもこうしてルーティーンを作って日常をつくりだそうとするんだろうか。そういう生き物なんだろうか。

そうそう、実は先週の土曜(2020年4月25日)から実家にいる。対面の授業もないし、院生室にも行かないし、大学の近くで一人暮らしをする意味もないように思えてきたからだ。食費や光熱費が余計にかかるくらいなら実家に帰ってきたら、と母が言ってくれたことも大きい。父が車で迎えにきてくれたから新幹線や高速バス、電車、地下鉄などに乗る必要もなかった(幸い車で行き来できる距離だったのでよかった)。

ただ、実家に帰ってきたからといって、この非日常の中に築かれた新たな日常から抜け出せるわけではない。一人暮らしとはまた少し生活リズムが変わったが、それでもやはり基本はあの時間割に沿って行動をしている。どこにいようときちんと行動計画を立てて過ごさないとだめ人間になってしまう。せっかくこれだけ時間があるのだ。2ヶ月の春休みが終わったと思ったらさらに1ヶ月延長だ。この期間遊んでちゃもったいない(どこにも遊びに行けないけど)。どうせなら、授業のないうちに自分のしたい研究を進めておこうじゃないの(根は真面目)。

自分の研究のほかに、先輩に誘われてこのコロナ禍を記録している。ここ数日の投稿もそもそもはその企画の一環である。ただ、いまいちなにをすればいいのか、なにをどう記録すればいいのかわからない。

どうやらこの企画に参加している人の多くがそんな悩みを持っていたようだ。企画を始めた先輩方ですら手探り状態であるようだ。昨日(2020年4月27日)、zoomでミーティングと情報交換をした。企画参加者のほぼ全員が手探り状態で、とりあえずがむしゃらに気になったものを記録しまっくっている、というのが現状だった。とにかく記録して、記録して、記録の量を増やすしかない、と。今は日記を書くだけになってしまうかもしれないけれど、とりあえず書いていくしかない。書いていく中で、他の人の記録などを見て、自分の記録の弱点が見えてくるかもしれない。その部分はまたその時点から補って記録していく。そして、その記録をエスノグラフィーとして記述することは今はとりあえずあまり考えないでおこう、という話になった。結局、コロナ禍がいつ終わるかなんて誰にもわからないのだ。とにかく今は記録し続けるしかない。ただ、あとからエスノグラフィーにするとしたら、自分があくまでこの非日常に参与観察しているということを念頭において記録した方が良いであろう。

そんなこんなで、今日もまた非日常の記録の一環としてツイッターのコピペ作業をしているわけなのだが、コピペし終わったものを日付順に見ていくと、「こんなこともあったなあ」と思わされる。コピペの範囲は4月7日から。だから今日(2020年4月28日)のちょうど3週間前から。細かい分析はまた別に投稿する予定だが、このわずか3週間の間にこれだけのことがあったのか、と思わされる。

経済的な補償ではなく和牛券を配る、みたいなバカげた政策の流れで、「経済政策で『給食に国産メロン』も」なんて報道がされていた。どんだけおかしいんだ、この国の政府は??? これが4月10日のことだった。

私は学部以来ずっと社会運動に関わってきたので、私のツイッターのタイムラインにはこのような愚策に憤りをあらわにする知り合いが多くいた。その人たちが中心となって積極的に政府にダメ出しをし、陳情し、指示を出す。要望を出す。毎日これの繰り返しだった。これは決して意味のないことではなかった。ツイッターの世界の中には「今は政府の悪口を言う時ではない」とか「責めるな。じぶんのことをしろ。」なんてことを言って問題から目をそらす人も少なからずいた。だが、ダメダメな政策ばかりを出してくる政府に対して懇切丁寧に真っ当な批判をし、時として、ああしろこうしろと具体的な指示まで出すことは民主社会において非常に当たり前の行動だ。

「政治家は選挙で選ばれただから文句言わないでください。文句あるなら選挙に行ってください」みたいなことを言ってくる人はよくいるのだが、それはそもそも間違いで、我々が投票によって選んだ人だからこそ(つまりこの人に我々の代わりとなって重要なことを決めてね、とお願いをしたからこそ)、その政治家がおかしなことをすれば批判しなければならない。その人の決定で我々一般庶民の生活がひっくり返ることすらある。私たちがその人に一定の権力を持たせたとしても、それはその人たちに私たちの生活を破壊しても良いと許可したこととイコールにはならない。政治家に「休業しろ」と言われても、収入がなければ死んでしまう。だから現金での補償が必要なのだ。和牛やらメロンではなく、金が必要なのだ。和牛やメロンは食べられたとしても、それで家賃や学費は払えないだろう?おかしなことをしている人がいたら批判しなきゃ。それ、大人として当たり前のことでっせ。

話が逸れた。ともかくこういう考えを持った真っ当な人たち(なぜか政府を批判すると「左翼」だの「パヨク」だの言われるが、おかしなこと見つけたら批判するのは大人として当たり前のことだからね。右も左もないよ)が声をあげたおかげで、10万円の補償が出るようになった。それで、今度10万給付が決まったら決まったで、ツイッターは荒れた。「アベノマスクは断るのに10万円はもらうんだな、パヨクのダブルスタンダード」みたいな言説がたくさん見られるようになった。この辺の細かいやりとりについての説明もまた別に機会に譲るが、ともかくその言説がおかしいのはこの記事を読んでいる人なら(ちゃんと読解力がある人なら、少なくとも1ツイート140文字をちゃんと読んで理解できる人ならきっと)わかるはずだ。10万円かどうかは置いておいて、現金での補償を出せって言ったのは私を含む「パヨク」と呼ばれ「アベノマスク」を受け取らないと言っていた人たちなのだ。

まあ、こういうよくわからないことを言う人たちはコロナ禍以前にもたくさん存在した。政権を無条件にヨイショし続ける人たち(本当にそんなことしててなんか得なことあるのか?)は、コロナ禍の不安によって生み出されたわけではない。もとからいたのだ。だが、今回は、普段政治にあまり目を向けない人々(特にわざと目を背ける人々)も今回の政府の後手後手の対応に腹を立てているはずで、何の得にもならないのに政府をヨイショし続ける必要性など見出せないはずである。現に私の周りの普段政治の話をしない友達や親族も、安倍政府はおかしいと言い始めた。彼らが政治に批判的な意見を持ちそれを表明し始めたこと自体、私にとっては非日常的な体験であったかもしれない。そしてそのような状況下で再びわけのわからないことを言う人たち(いわゆるネトウヨ)のツイートを見ると、その異常さがさらに際立つのである。

この他にも、この3週間でたくさんの動きがあった。どの動きもにも、それに対して茶々を入れてくるネトウヨがいるのだが、政府への抗議が増えて実際に政府が行動を改めれば改めるほどにネトウヨの異常さが際立つ。面白いくらいにね。

さて、ダラダラ書いていたらなぜかネトウヨの話になってしまったが、とにかくネトウヨが何をしたいのか私には全く理解不能である。この国の社会が少しでもいい方へ向かうのを邪魔しないでほしい。

とにかく、ネトウヨも安倍政府もおかしなことはやめてほしい。怒りに満ちてこの文を書いている。明日もきっと私は抗議を続けるし、それを記録し続けることになると思う。非日常に投げ込まれた分、怒りも増し増しにしてぶつけてやる。

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