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スランプに陥った私に『チーズはどこへ消えた?』が響いた話

1.突然、創作意欲が無くなった


1ヶ月弱、仕事・自主制作共にずっと絵が描けない状況に陥っていた。

デジタルで絵を描こうとすると、アタリを描いた時点で拒否反応を起こしてしまい、手が止まってしまう。

リハビリとして、創作意欲の湧いていた活動初期や学生時代に使っていた画材で思うままに絵を描いてみたが、満足のいく出来にはならず、活動ごく初期の劣化版みたいな絵しか描けなかった。

こうなってしまった理由は単純だった。

ここ数ヶ月ほどずっと、絵を9割8部くらい仕事のためにしか描いていなかった。
ある時、絵を描く急ぎの仕事がぱたっとなくなったことで、自分の中の「絵を描く理由」みたいなのがいきなりぽかんとなくなってしまい、それで自分の中の張り詰めていたであろう糸が途端に「プツン」と切れてしまった。

今まで「好き」で描いてた絵が、
いつの間にか「仕事のための道具」に成り果ててしまって、
その絵を描く理由の「仕事」に穴が空いたことで
「仕事のための道具」としての絵を描く意義がなくなり、絵が描けなくなってしまった。

2.本との出会い

そんな中、ある日父から「短いからとりあえず読んでみてくれ」
と、図書館で借りてきた『チーズはどこへ消えた?』を渡された。

ちょうど創作意欲も急ぎの仕事もないフリーランスの私にとって、日々のやることといえば、漫画やアニメを見ること、本を読むこと、ゲームをすること、2〜3日にいっぺんジムのプールに泳ぎに行く、ということ、本当にほぼそれだけで成り立っており、一応創作意欲が無いなりにも毎日充実できる生活を心がけていたが、やはり今までずっとそばにあった「なにかを創る」というライフワークが欠けた生活はどこか物悲しかった。

今日もそんな中で「短いし、まあ気分転換で小学生の時のように音読でもしながら読んでみるか」という軽い気持ちで、『チーズはどこへ消えた?』を、声に出して読み進めた。

その本は音読をしながらでも、おそらくものの1時間ほどで読破した。
そして、その本から非常に多くのことを学んだ自分がいることに気がついた。

3.『チーズはどこへ消えた?』を読んで


そこにあったはずのチーズが突然無くなったチーズ・ステーションCの状況が、まるで今の創作意欲が枯渇してしまった自分そのもので、それから、
自分が
「絵を描くこと」
「アニメを作ること」
に固着して身動きが取れなくなっているヘムになっていたことに気がついた

変化というものは常に訪れる。それを念頭に置き、常に自分を観察し続けて、変化の予兆はないだろうか?本当に今のやり方を続けても問題ないだろうか?とスニッフのように本能に語りかけて、確認をし続けることが、この仕事を健康に続けていくことにおいて何より必要だ。

現に、そういった自分自身の面倒や変化をこまめに見てやれなかったせいで、今回のような大きなスランプが起きてしまったのだと気付いた。

そして、私がずっと身動きが取れなかったのは、
そういった
「絵」や「アニメ」という手段=チーズ・ステーションCに留まって、
いつかそれらを作る意欲が湧くだろう=チーズが現れるだろう
と期待をしていた
からだった。

だけど、ヘムのようにそこに留まってただチーズを待つだけでは、チーズは現れない。

ホーのように、勇気を振り絞って新しいチーズを探しに行く=違うジャンルの創作をしてみる、などをすれば、道は開けてくるのではないか、と思い、ずっとやりたかったけれど手をつけられていなかったLive2Dアバター制作や3DCG制作、写真、NFTなど、今の仕事とは関係のない創作をしてみようと思った。

また、
新しいたくさんのチーズを楽しんでいる自分の姿を鮮明に想像する
という考え方もとても良かった。

これは、私が以前別件で買った本に書いてあった「前祝い」と同義だな、と捉えた。前祝いの力、恐るべし。

もしかすると、私がずっと追い求めていた「絵」「アニメ制作」というかつてのものは、すでに「古いチーズ」になってしまっていたのではないだろうか?とも考えた。

それならいっそのこと、もう新しい絵を無理やり描こうとせず、
新しい分野の技術=新しいチーズを追い求めて、
安寧だった(と思い込んでいた)チーズ・ステーションCを飛び出し、
運良く新しいチーズ・ステーションで新たなチーズを見つけることができたら、それを仕事に活かそうという方針に切り替えた。

もしかしたら、新しいチーズを発見することで、これからの仕事のやり方などが大きく変わっていく可能性もある。
しかし、変化というものは常に訪れるもの。それを念頭に置いておけば、後悔も混乱もしないで済むだろう。

また、物語の中では結局最後までチーズ・ステーションCにはチーズが再び現れることはなかった。

しかし、新しいチーズを探しに迷路に飛び込み、新しいチーズ・ステーションで大量の美味しいチーズを見つけられた暁には、きっと今までよりも新鮮で美味しい状態の「絵」「アニメ」に出会えるかもしれない。

例えば、絵・アニメがカマンベールチーズだとしたら、私がずっと追い求めていたのは既に古くなって不味くなり、かつ突然消えてしまったカマンベールチーズ。
迷路の先にある新しいチーズ・ステーションには、新鮮で美味しいカマンベールチーズがあるかもしれない
のだ。

4.これからどうするか

とりあえず、先にも述べた通り、一旦かつての方法・意識で行っていた「絵」「アニメ」からは一旦脱却し、Live2D、3DCG制作、写真、NFTなどを行ってみることにした。

それらがそのまま仕事に活かせれば御の字だし、活かせなくても仕事の気分転換になる。
もしかしたら本業の「絵」「アニメ」の表現の幅を広げてくれるかもしれない。それこそつまり、新しい新鮮な形で「絵」「アニメ」とまた出会えるのかもしれない。

まずはホーが物語の中で述べたように、
まだ新しいチーズがみつかっていなくても、そのチーズを楽しんでいる自分を鮮明に想像する

これについてじっくり考える時間を取ってみよう。

自分の中の「チーズ」とは何か、それは
子供の頃のように、創作を心から楽しむこと
だと気付いたから。

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