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ありがとうの反対言葉って。

「ベナンに行くんですよ〜」っていうと「ベナンってどこ?国?」って聞かれることが多かった。私自身もベナンという国があること自体知らずに生きてきた。だからこそ、ベナンも同じように日本のことを知らないんじゃないかと思っていたし、行く前の下調べでみたYouTubeに日本のことを知らない人が多いと言っていたから、そのつもりでいたのだが….

なんとベナンには「たけし日本語学校」という日本語学校があった。

しかも、実際に日本の方がベナンに住みながら日本語を教えており、たけし日本語学校から日本へ留学に行った生徒も何名かいる。たけし日本語学校は、ビートたけしさんの付き人をしていたベナン人のゾマホンさんと山道さんによって2003年にベナンの経済都市であるコトヌーに建てられた施設。「たけし日本語学校」の”たけし”は、もちろんビートたけしさんからとった名前らしいがたけしさんには事後承認だったみたい。笑

Google MAPより

アテンド兼インターン先の方が、懇親会で日本語学校で現在先生をしている石田先生にお会いして「いつでもおいで〜」といっていただいたということで、私も学校へ連れて行ってもらった。
出迎えてくださった石田先生は気さくでとにかくアツい方だった。パッションという言葉は彼のためにあるのではないかというくらい、ベナンのこと、日本のこと、生徒さんのこと、教育のことを自分ごととして捉えひたすら考え行動している人に見えた。

特に印象的だったのが、「ベナン人は”もらう”のが当たり前になっている」という言葉。日本からの支援経歴を見せ、石田先生が「何を思う?」と生徒さんに問うと、生徒さんは「ありがとうと思う。日本は次何をしてくれるの?」と答えたそうだ。その回答に石田先生は彼らに怒りを見せ、「その精神がダメなんだよ。いただいたら返すのを当たり前にしないと。今の君たちがやることは日本に何を返せるかを少しでも考えることだよ。能動的になりなさい。」といった内容の話を伝えた。(録音していたわけではないので、少し私のフィルターがかかってしまっていると思います。ごめんなさい…)

一見、厳しく聞こえてしまう言葉ではあるが、私は石田先生の言葉の中にある愛情をものすごく感じて感激してしまった。お話を聞いている中でも日本語学校の生徒さんに投げている言葉たちは、全部私に向けて言われているような言葉ばかりで石田先生にお会いしたことはとても大きく貴重だった。


国の経済格差の話とかだと私にとってはスケールが大きすぎてよくわからないけど、私は話を聞いていて「当たり前なことにきちんと感謝できてますか?」というメッセージだなと感じた。(もちろん日本がベナンへ支援することが当たり前だという話ではないし、当たり前じゃないだろって言いたいわけでもない。)

どこかの誰かが言っていた。
「ありがとう」の反対言葉は「当たり前」らしい。

今の私は、当たり前に大好きな人と会うことができて、当たり前に素敵な場所で仕事をすることができて、当たり前にご飯を食べられて、当たり前に眠れる場所がある。
でも、当たり前ってなんなんだろう。
いつ失うかも、いつ会えなくなってしまうかもわからないのに。私はあまり「なくなること」を身近に感じた経験が少ないからついつい見逃してしまいがちだけど、当たり前にどのくらいありがとうって言えているのかな。一歩だけでも離れて自分を見つめてみると本当に「ありがたい」という気持ちしか出てこない。私は本当にたくさんの人に支えられてなんとか生きていけているんだと強く思う。

まったく幸せ者め、私。

大袈裟に聞こえるかもしれないけど、今ある当たり前ちゃん達に心からありがとうってたくさん言いに行こう。無理矢理思うのはそれはそれで違うと思うけれど。それが本当の幸せに気づくことなんじゃないかなと。まだまだ浅いけど、幸せの輪郭が少しだけ濃く見えてきた気がする。

「ありがとう」って反対言葉ないよねという世界で生きよう。

こうやって大切な点に戻らせてくれた石田先生にとても感謝しています!
ありがとうございました。



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