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私のルーツ探しと家系図

私のルーツ探しと家系図

あの夏から始まった。
2012年の夏だ。

父は、小さな中小企業を営んでいた。
40歳で脱サラして、起業した。
私は父が起業したその年、この世に誕生した。


輸入家具とインテリアの卸業者をしていた。
母と二人力を合わせてなんとかやっていた。

私には兄が二人いるが、私が小学生の頃は
家族総出で、家具の倉庫の整理や
納品の手伝いなどをしていたことが懐かしい。
兄たちにもかなり苦労を掛けていた両親だ。

私が中学生の頃
事業は借金で立ち行かなくなり
実質倒産。


自宅は競売にかけられて
一軒家だった夢のマイホームは
格安で買いたたかれて
夜逃げのように家を離れる事となった。

何千万円という借金を抱えて
全てを失った父は60歳で
自己破産を迷ったが
その後の人生を考えて
保険代理店としての開業を選んだ。


私が20歳の時である。
開業初年度の年収は120万円にも満たなかった。

私は奨学金で大学へ通い
アルバイトをいくつも掛け持ちして
親の収入を支えた。
兄たちも同様に、両親を支援した。

長男は父の借金の保証人になり
家族の迷惑をかけてはいけないと結婚がダメになった事も有る。

8つ離れた兄と4つ離れた兄は
当時、私が知らない苦労をたくさんしていたのだと
父の死後、兄弟で話をしていて見えてきたことがあった。

・・・・・・・・・・

書いていたら
どんどんルーツ探しから話がそれてしまったので‥‥
本題に戻る。


71歳となった父が、
「いつか成功したら本を書きたい」と私に夢を語ってくれた。

当時私は、31歳。

「成功したら・・・なんて言ったら
いつになるかわからないから書き始めよう!!
私が手伝うから」

そう父を励まし、
波乱万象だった父の自分史をまとめようと思っている
矢先


父は、病に倒れた。

大腸がんだと信じて、名医を探していた父は
病院での診察を先伸ばしして
体調を崩した夏から3か月たった
10月31日に希望の医師に診てもらえることになり入院した。

入院に付き添った兄からは
「がんばるぞ!!」とガッツポーズをした笑顔の父の写真が送らて来た。


翌日、11月1日明け方
兄から、「父が危篤だからすぐに来い!」と電話がきた。

私には意味が解らなかった。
病院に駆けつけると
集中治療室の中で管に繋がれ、人工呼吸器をつけて
ぐったりしている父の姿があった。


医師によれば
悪性リンパ腫ステージ4


絶望的な診断結果だった。
医師からは
「どうしますか?
 多くの方は緩和ケアを選びホスピスを選択されますが・・・・」

と‥‥・

私達家族が出した答えは
「父は元気になって家に帰る。と願って入院をしました。
少しでも助かる見込みがあるのであれば
是非積極的な治療をお願いします。」

だった。
悪性リンパ腫は幸い、抗がん剤が合えば
奇跡的な回復が見込めるがんであった。

私達は一縷の望みをかけて
治療を選択した。


結果、そこから5回の危機的な状況を乗り越え
ほとんど話もできない状況での8か月間の闘病生活。

72歳になる夏、2013年7月14日に病院で息をひきとった。


闘病生活の最中、私は父のルーツを辿ろうと
戸籍を取り寄せ、家系図づくりを始めた。


結局
家系図が完成したのは父の一周忌。
親族に家系図を披露した。

そこで叔父から
私が生まれる前に亡くなった祖父のことを聞くことが出来た。

祖父は、昭和20年、終戦後
満州からシベリアへ抑留され
運よく日本に戻ってこられたのだという事だった。

初めて耳にした先祖の記録だった。


昭和16年。父は満州生まれる。
昭和20年。終戦を迎えて
当時幼かった4歳の父は、戦後2歳の弟と
頭を丸めて男装をした祖母と

満州からの引揚げ船で日本へかえってきたのである。
後に軍歴証明を取得して
そこから当時の記録がおぼろげながら見えてきた。


戸籍を調べ家系図を作ったが
今となっては、父に聞きたい事がたくさんある。

就職して忙しい生活の中で
遠く離れて暮らし

ゆっくり話をする機会も持たぬまま
父を見送ったことを非常に後悔した。


父がなぜ
祖父の事を話してくれなかったのか。

今思えば祖父は、帰国後、家族を顧みず
父や祖母に苦労をかけたと聞いている。

親族から聞いて少しずつ見えてくる事実。
父や祖父の抱えていた想い、癒されなかった想い。

シベリアでの体験記などを読むたびに
祖父が体験したであろう壮絶な記憶が

帰国後の祖父を悩ませていたことは想像に難くない。
そこに今寄り添いたいと先祖とルーツを調べている。



なぜなら、先祖を知る事は、自分を知ること。
この体に刻まれたDNAを紐解くこと。

それまで歴史や戦争に興味を持たなかった私が
以来過去の歴史を自分の事として、興味を持つようになった。


歴史を知れば知るほど
命を繋いでくれたご先祖様への
感謝の想いがあふれてくる。


先祖がいたから、今の私がここにある。
人はなぜ生きるのか?

家系図を創り、先祖の想いを知り、
生きる使命を伝えたい。

そんな思いで今、家系図を事業として取り組んでいる。



家系図・終活アドバイザー
株式会社みそら 代表取締役 塩﨑明子


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