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どんな居場所ならいいのか、、を考える前に。

前にフリースクールで働いていたという人が、
「来さえすればいいよ、勉強とかしなくていいからとにかく来てってうちでは言ってた。でも、なかなか来れない子もいた。子どもが来たいから来るって、すごく難しいことだよね。」

そう思います。
そして来さえすればいい…本当にそれでいいのかなと思います。(学校もよくそう言うけど)
とても繊細で大切な部分をすっ飛ばしている気がします。

私のアトリエに自分の意志で来てないお子さんがいたら、来てくれたことは嬉しいのですが、無理しないで
帰っていいんだよ〜と言います。「せっかく来たんだから…」は、子どもの想いに蓋をしてしまうと思っています。

シンプルなこと。
子ども達はロボットじゃないので、AIのようにひたすら情報を叩きこんでも都合よく動きませんし、そこが何より尊いところです。

そこに行く意味があるかどうか、無限の可能性が眠った身体をどう使うか、子どもたちは探り、無意識に感じているのが伝わります。

空気で感じて、感じすぎて、罪悪感を持ちながらも、
親の安心材料のために動かない芯を持っている。

だから動けない、動かない時間ごとが意思表示だし、その子なりのサイン。大切な行動だと思いますし、大人はサインに気付くのが役割だと思っています。


納得しながら進んでゆく

我が子達は、通うデイサービスの全てが好きというわけではなさそうだけど、本人達曰く「今日は◯◯がしたい。」から、目的を持って今は行っているようです。
失敗も成功もぶつかり合いもよくあるらしく、昨日も喧嘩してきたらしいです(笑)
そんなお友達とのトラブルや、少し陰湿ないじめがあったとしても、それでも通いたい、カバーできることが、今はそこにあるのだと思います。
言葉にはならないかもしれないけれど、本人達なりの納得している理由が。そしてその空気を作っているのは誰かということ。

最初は「デイサービス楽しいらしい!」と噂を聞いた子どもたちが体験に行きたいと、せがまれて体験に行き、意志確認をしてから医療や福祉の手続きをしました。1ヶ月以上待たせたし(本当に通うの?と思っていたのもある)他のデイサービスも見学に行ったけど(並行して通えるので)今のところだけでいい!と揺るがなかったのは子どもたちでした。

ルールに納得しなくても、関わり方で譲ったり思いやったりが自然とできる。

先日学校から、図工用に分厚い色画用紙をもらい
カッターで切りながら面白い立体を作る、、という工作に挑戦した長男。
しかしうまく出来ずに…というか、理想の形にするためにセロテープを使いたかったのですが、それは使わないルールになっていて。守ろうとしたのだけど、どうしても納得せずに…結局破り捨ててしまったのでした(^◇^;)

私は咎めたりしないし、先生もそうなのね〜!と笑ってくれるような朗らかさ。
けれども長男には何かが引っかかっていて、うまく消化できず、結局最近は学校なんかもういいや〜面倒くさい、となっていたりします。

思うに「そこにはルール云々とかよりも、関わり合いの時間が足りないだけ」かなと感じました。
なんせ30分だったから。
そのルール守りたいけど難しいよ〜と言えていたり、代価案はないの?などのやりとりができる時間がない、もしくは言いづらい、納得感がないのだろうなと感じました。
こだわる息子故の未消化。でもそれだけで活かされる力もあるのになぁと思ったりします。
(先生が最近特に忙しく時間がとれず。。時間外に1人のために無理も言えないし…!)

デイサービスでも工作系は上手くいかないと破り捨てる長男(笑)ですが、←いいわけではないけど、優先順位的に後々注意してます~

悩む時間が長めにあったり、本音を吐ける関係性でいてくれる先生達がいるので、自分なりに切り替えているようです。
「もともとの目的のものではないですが、作れない理由があったみたいで、本人で切り替えて、他のものを作っていましたよ」なんて報告されることはよくあり、私も直ぐに先生や息子に共感したり気持ちを伝えられるのはスッキリします。


ありのままを見てくれる=過剰に持ち上げない

特に心地よいのは、事実をそのまま伝えてくれること。過度に褒めはしないけど、認めてくれている空気感。
一度で理解することが難しい我が子達には、バサっとやられないこと、何度も質問できる安心感が大切。

けれどもベタベタもしないし、価値観の押し付けや世話焼きもほぼしない。目的は自立。
今、第三者からのこの距離感がとても必要なんだなと思うし、そしてこれは子どもたちが健全に育つ栄養だと思うのです。
このリアルの第三者の繋がりは、もっと早く欲しかったことの一つです。


やはり、当事者性なのか。。!?

どうしてこんなに先生方の関わり方がいいのかしら?(特別デイサービス推しな人間でもないのに、なんか褒めちゃう。笑)と思っていたら、、

今通うデイサービス系列の代表の方のお子さんが重度の身体障害をお持ちで、その困り感やしてほしかったことを反映してるということでした。
社員研修や、デイサービスで働ける以上の保有資格を徹底しておられました。
そして先生方の得意を活かして、先生方がプログラムを産み出していました〜。(食べる系、工作系、ボードゲーム系などなど、、決定権は現場にある)

どうりで〜!!!

資格が全てではないし、それ以外にも大切な要素はありますが、、伝わってくるのは先生方のしなやかさ。
だからこそ、各地の全てのデイサービスがこうではないんだろうなと思いました。他の、地域の居場所でも同じ。

ただ、そこで大切になるのは、やはり見極めるのは家庭!というところ。
どんなに素晴らしい支援者がいたり、良い居場所でも、合わない人は合わない。出れない段階のお子さんを連れ回すなどできない。そこにまず何を求めるか?その子の状態や、兄弟がいれば、片親ならば、などその家庭ごとの理由があり、だからこそ一人一人違うコーディネーションになりますよね。

いちばん近い親がそれを担うことになりますが、親も辛い人も多いです。支えてくれ!と言ってもなかなか声が届かない、周りに理解のない家庭も多いです。親はひとりで疲弊したり、、または、脱皮したり!してゆきます。

キラキラ、ニコニコ、みんなで、は目指さなくていい。

特に最近はママ向けに良さそうなイベントが転がっています。母親が自分らしくいるのはとても大切!
でも、キラキラな自分になれる!?に惑わされすぎて自分の価値をそこに置きすぎると、家に帰って現実に発狂します。(笑)

まず付き合いの約束は破ってもいいから(笑)
目の前の家族をよく観察してみたらいいと思います。

明日死ぬなら誰といたい?何を知りたい?後悔しない?

家に帰って子どもやパートナーのダメな部分や足りない部分ばかり見える、、口出しばかりしたくなる時は、、要注意!笑
いったい誰に認めてほしいのか、理想を求めているのはなぜか?…を、自分に問うとき。

この子、昔からここがいいのよねぇ、、うふふ、、と妄想、想像してみたら、ニヤケてしまったりすること。ありませんか?
進学どうとか以外の全てをひっくるめて、何だか勝手にコーディネーションのプランが見えてきたりしないだろうか(^^)



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