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コミュニケーションの難しさ

得るだけでは、与えただけでは意味がないって話。

今回はコミュニケーションというものを自分なりに考えていきたいと思います。

実はコミュニケーションって非常にレベルの高いことをしていると私は思っていて、その段階はおそらく4つに分かれていると考えるとわかりやすいと思っています。早速図を。

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今回は簡便にするためにコミュニケーションの中でも代表的な会話、その中でもチャットのようなものを頭に浮かべてください。(つまりジェスチャーや表情はなし)

①話し手が伝えたいことを考える、②話し手が実際にそれを文章にして発する、③聞き手がを文章を受け取る、④聞き手が受け取った文章を解読してそれが伝わったことになる。

「伝えたいこと」がそのまま「伝わったこと」になるなんて、ほぼほぼありえない。4つのステップを踏まえている上に、それぞれの間にはミスが起こる可能性がある。一つずつ考えて行きましょう。

①→②では、話し手は伝えたいことを言語しなければならないのですが、ここに障害が発生します。言いたいことがうまく出てこなくて、実際にはそうじゃないけどそういう表現をしたことはありませんか? 

わかりやすい例としては子供と話すときと外国語で話すときです。子供と話すときは、文章化する際に、簡単な言葉に言い換えたりします。ただ難しい言葉とはそれだけ別の意味合いを含んでいることがあり、元々伝えたかったこととニュアンスが異なることが多分にあります。また外国語に関しては、使いたい意味の単語を知らなければ自分の知っている別の単語で代用する必要が出てきます。自分の中でも言語化に失敗することがあります。

②→③は最もわかりやすいでしょう。相手に言葉自体が伝わらない、これが②→③で生じる障害です。物理的に声量やコンピュータの変換ミス、自分側の発語の障害(活舌が悪い他)、相手側の難聴などもありえますね。手紙で言うなら、そもそも手紙が届かないようなものです。

実はこの段階が一番どうでもいいと私は思っています。だが、ほとんどの人間がここに重きを置いてると思っています。マイクやスピーカーなどのハード的な部分、通信環境や翻訳ツールなどのソフト的な部分、そういうとこは今のご時世はとてもよく発達している。だからこそ、私は一番どうでもいいと思っています。発達しているからこそ、大量の代替手段がある。今、使えるものを使うというのがこの段階での重要な部分だと思います。

③→④のステップは一番わかりにくいと思います。そもそも、②→③と③→④を分ける意味が分からない人もいると思います。でも、分ける意義はあるし重要だと思います。③→④の段階は唯一、話し手が関与できない段階で、すべてが聞き手の中で消化されます。

相手の用いている思想・言語・言葉の捉え方・前知識・偏見などなどによって、多様に変わってしまう。私はこの段階こそが一番重要とすべき点で、同時に一番どうにもならない部分だと思います。相手依存であるがゆえに、聞き手がどのような人間なのかなどを考慮して①→②の段階や②→③の段階をしても、実際にどう相手の中で消化されてるかはわからない。

ここで厄介なのは、このような段階を経て伝わるのは言語だけではないということ。通常の日常での会話はここに表情・ジェスチャー・声色、LINEなどのチャットアプリならスタンプなども加わってくる。

実は我々が行うコミュニケーションというものは、4つ段階を沢山の手段で行って、それを統合して理解している。とんでもない高等なことをしている。

重要なのはほとんどを我々が無意識下で行っている、いや行ってしまっているということです。言い換えた理由は本文の要旨がここにあるからです。

無意識下でやっていることが本当に最適解なのかは甚だ疑問が残ります。もっと良い言い方や行動があったのでは?、いや具体的にこうすればよかったな、と思うことがしょっちゅうな私としては、無意識下でやってしまっていることは残念に思ってしまいます。考えて発言していれば、行動していればもっと違う正解もあった気がする、そう思えてならない。ただこれを全部意識の上で考えて行うとなると脳みそが焼き切れるととも思いますし、うじうじして結局行動にうつせない。

私が出した結論は無意識の言動と思考による言動、そして麻痺した言動の3つに分けることです。

日常生活で気の置けない人との何気ない会話まで意識して話すのは厳しい。だから、そこは無意識でコミュニケーションする。大事な会議やプレゼンなどでは思考によってつくられた言動をする。そして、重要なのが麻痺した言動です。これはいわば、コミュニケーションツールの複数を麻痺させるということです。

どういうことか? 先ほど言った通り、コミュニケーションをするうえで、通常の会話においても、言語・ジェスチャー・声色・表情などがあります。このいくつかを麻痺させて何かに固定する。言語ならば敬語と固定してみたり、ジェスチャーなら全くしない固定して見たり、そうすることで相手のその部分で与える印象を固定させる。初めの固定させ方、私が言うなら麻痺させる方にはある程度気を使いますが、それ以降は気を使わなくていい。わかりやすく言えば、型を作るということです。型を作ることは無意識下とは似て非なります。

もしもコミュニケーションにおいて、困ったら型を自分で作ってみるのはどうでしょうか? まあ言わば、飲食店でのマニュアルとかはまさにこの型に当てはまるんでしょうけど。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:確か日光東照宮笑

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