見出し画像

とあるボタンを考えてみる

100年ボタンってあったよね? っていう話。

一時期、流行った話のテーマで、○○年ボタンというものがあったような気がします。話によって、時間と金額が異なるのですが、「ボタンがあって、それを押すと現実時間では時間が経過しないが、何もない空間で長い時間(100年とか)を過ごすという感覚に襲われる。そして、その感覚から解放されたら多額の金銭(100万とか)が支払われる」。そんな設定です。

この話の面白い所は、やっぱり時間と金額の関係で、何もない時間を過ごさなければならない一種の地獄をどれくらいの期間、どの金額で妥協できるかという話です。すごく例えばの話ですが、1分で1000円とかだったら結構な人が押すと思うんですよね。逆に100年の何もない時間を過ごしても1万円とかだとほとんどの人が押さない。

代償と報酬(時間と金)が直接的に比べることが出来ないところに、質問の回答者の主観が混じるということですかね。これを他のパラメータに置き換えて違うボタンを考えてみたいと思います。それは

「嫌いな奴不幸ボタン」
いくらかの金銭を払うことで、嫌いな人間にある程度の不幸を起こすことが出来るボタン。具体的には、10円を払えば嫌いな人間がコケるボタンとか、1000万円を払うと相手が死ぬボタン。(もちろん、犯罪には問われないとする)

そんなボタンがあったとしてあなたは押しますか? すごくお金持ちとか貧乏ではないと考えた上でですが、これが結構難しい。

先ほどの○○年ボタンとの明らかな違いは代償と報酬が逆転しているとこです。先ほどは、虚無の時間という「精神的苦痛」が代償、多額な金銭という「具体的物体」が報酬でした。今回は「具体的」な金銭が代償、「精神的」なストレスの発散が報酬。構造が厳密に逆とは言えないが、逆に近しい状態になっている。

ただ類似点も大事。やはり、単純に比べることが出来ない2つが代償と報酬に選ばれている点が同じであること。また意外にも忘れがちなのが、その簡便さ。動作としては「ボタンを押すだけ」、その行為だけで成立する。

個人的にはこの2つの質問は対になって、すごく意味がある気がする。金銭のためにどこまでの苦痛を我慢できるのか、どこまでの金銭を用いれば苦痛を他者に与えるのか、人間の心の暗い部分を浮き彫りにする質問のように感じます。

他者にこの質問をするのは微妙ですが、自問自答することで、自分が実はどんな人間なのかを把握するのはすごく有用だと考えます。

ちなみに私は……うーん、あんまり綺麗な人間ではなかったですね笑

写真:ロケット

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?