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恩は安く売って高く買うモノ

恩と株って本質的には変わらないなって話。

最近はすごく甘いテーマばっかりだったので、今日はちょっと厳しいテーマについて書いてみたいと思います。題名は、その名の通り、「恩」についてです。

私は人生を豊かにするうえで、「恩」を売り買いすることが非常に重要だと考えています。そのうえで、最も重要なのがその差額だと思っています。この辺の考え方はまさに株に似たようなところであり、安い恩を高い恩で返してもらえば万万歳だと私は思っています。

結構えぐいことを書いたという自覚があるのですが、これは感情がない功利主義的な話ではなく、むしろ異常なことほどに感情が通った話なので、最後まで読んでいただけると幸いです。

さて、導入として例えばの話をしたいと思います。すっごく困っている時に1万円を貸してくれる人とそうでないときに1万円を貸してくれる人ってどっちのほうがありがたいですか?

貸す側からすれば同じ1万円ですが、借りる側からすれば圧倒的に前者の方がありがたいと思います。もっと庶民的な感覚に変えるなら、「すごい便意だけど近くに有料トイレしかない上に小銭がない時に貸してくれる100円」と「会社仲間と弁当屋に行ったけど財布を会社に忘れた時に貸してくる弁当代500円」ってどっちの方がありがたいですか?

まあここまで行くとちょっと微妙になると思いますが、意外と前者と答える人もいるんじゃないでしょうか? 弁当屋が会社が入ってるビルから徒歩1分のクッキングカーで、10分あれば往復できるとかみたいな設定も入れればなおのこと前者が増えると思います。

そういう価値観(トイレ代>弁当代)の人間に対して、100円貸すのと500円貸すのはどっちのほうが「恩」を売れると思いますか? 多分、100円方だと思うんですよね。金額は500円の方が高いけど、会社に戻ればすぐに返せるお金だし、我慢するか往復するかでその貸し借りをないことにも出来るとなるとそれは尚のことだと思うんです。

だからこそ、恩は安く売るべき。正しくは自身にとって負荷じゃないモノを売るべきなんです。

ここが重要であり、自身にとって負荷じゃないモノ、例では金銭的な部分の話をしましたがもっと心情寄りの方が莫大な利益を生む可能性があると思います。

自分にとっては「ついで」だったり「オマケ」であったりすることも、相手にとってはそうではないことがあることをしっかりと認識するべきだと思います。「ついで」や「オマケ」を大きな恩として相手に感じさせることが出来ればそれは安く恩を売れたことになるし、相手が感じた恩を自分に返すときはその大きな恩分で返ってくるわけだから、高く恩を買い戻したことになります。

ここまで言うと、やっぱり感情がないじゃないかって思う人がいると思いますが、ここには大きな問題が隠されています。それは、相手の認識・相手の気持ちをしっかりと読まないと恩を安く売ることが出来ないし、相手からのお返しもまた自分の価値観や嗜好を伝えておかないと恩を高く買い戻すことが出来ないっていうことです。

つまり、相手について考えそして自分を表現することが前提の考えと言うことです。これを感情的な人間味に溢れないと言わんとして、なんといえばいいのでしょうか?

世の中には功利的を追求した結果として感情論に落ち着くことが結構あると思います。それは多くの成功者が自分の成功秘訣を「人脈」と答える秘密がここにあるように思えます。功利的を追求しても所詮、相手は感情を持った人間ですからそこに訴えることはうまく生きる上で成功するうえで非常に重要だと私は思います。

ただここまでではちょっと後味が良すぎるので、ちょっとマイナス面の話をしたいと思います。それもまた感情論に近い部分であり、ちゃんと相手に恩を売らないと自分にとってはそれなりの苦労だったのに、相手にとっては些細なことでどうでもいいことかも知れないことを頭の片隅において、恩を売る必要があります。

自分が何時間もかけて手作業と手計算で作った資料を、エクセルで一瞬で作れる人に渡しても、ありがたみは全然ないですしね。そういうことです。ちゃんと相手を理解して自分の技量を理解していないとダメなんです。

近いことを恩を返してくれることが言えて、さっき「自分を表現する」と書きましたが自分の趣味や嗜好が相手に伝わっていないと嬉しくもないものを貰うことになるかも知れません。だからこそ、自分がどんな人間かを相手に認識させておく必要がある。

まあ、そういうことですね。結局はコミュニケーションが大事って言ってしまうとそれはそれで終わりなんですが……。

さて、元も子もないことで終わるのも、さっきのいい感じなとこで終わらせて置き場よかったのにと思うので、最後にぶち壊して終わりたいと思います。

では恩を安く売らないためにはどうすればいいのでしょうか? 常に「自分に恩を売るにはかなりの労力が必要ですよ?」っていう状況を作れば、誰かに恩を売られることもなければ、それによって返す恩もないから楽して生きていけます。逆に言えば、相手が努力してやっと手に入れられるものを簡単に手に入れられるものにすれば、恩を売られずに済むということですね。

これはすごくエグイことだと個人的には思います。自分を完璧すればするほどに恩と言うものは売られずに済み、相手に渡した恩だけを返してもらう生活になるわけだから。

もしも他の誰も信用できない心になってしまったらそうやって考えて生きていくのもアリかもしれません。「いかに恩を売らずに生きていくか、そしてどれだけ高く恩を買い戻すか」、その人生が楽しいかはさておき、精神的に楽なのは間違いない気がします。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:いかり

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