やらないと、サボると忘れるのってどうにかならん?

過去投稿 2017/2/25

忘れる事って仕方がないけど、不可抗力でやらないがゆえに忘れてしまうことって大人になってから初めて気づくよね。という話。※長いです

人生いろいろありますけど、やっぱり人間として生きる以上は人間とのつながりって大事で、特に知り合いや友達、親友、恋人とか。そう言うものって家族とは違って後発的に作るもの。

別に家族よりも友達が大事とは言わないが、今回はその友達やその前後の関係の形成され方について考察したい。

まずは人間同士は知り合う。そして、何かしらのステップを踏み、友達になる。そして、その先には親友だったり、恋人だったりというものがある。こんな感じだと個人的に思っています。

ちなみに余談にはなりますが、個人的には友達とか友人という関係と親友の違いとは何かですが、衰退するか否かだと思います。親友とは会わなくても続く仲、友達とは会わないと終わっていくものだと思ってます。

ではいい加減に本題に入ろう。「友達やその前後の関係の形成され方」なんていう小難しい言い方をしたが、簡単に言えば、「知り合いの作り方」「友達の作り方」「恋人の作り方」「親友の作り方」ということですねー。

では、実行や活動動機の難易度の観点で簡単なものについて先に考察して行こう。個人的に簡単なのは「知り合いの作り方」と「親友の作り方」は簡単である。

それについて解説するにいたり、ちょっと話しておきたいことがある。それは「情報」と「本音」の区別である。私はここに重要性を感じる。「情報」とはあくまでも情報、そこには感情はない。対して、「本音」とは感情を含むその人の本質を映すものである。今はこれくらいの解説で収めよう。

では「知り合いの作り方」から紐解いていこう。まず私の認識では知り合いとは「名前と顔、連絡先、ある程度の個人『情報』を知った仲」だと解釈している。だから、経済面などの部分を抜かせば、何かしらの団体に所属しともに行動するなどの行為を行えば知り合いは簡単に得うると思います。

次に「親友の作り方」ですが、便宜上「友達の作り方」を展開してから続こうと思います。

「友達の作り方」ですが、友達と知り合いは何が違うのでしょうか? どこからが友達でどこまでが知り合いなのでしょうか? 哲学者としてはここに明確な線を引かねばならないのかもしれませんが、一つだけ確かに感じる事実があります。それは

「本音の共有がなされているか否か」です。

先ほどの話で私は「本音」と「情報」を分けました。ここで一例を出しながら、この話を開設したいと思います。シチュエーションは学生男女の会話・2人はまだ知り合い・男は女に気がある というありがちなもので行きます。以下に会話を書きます、LINEでもリアルでもいいので考えてみてください。

男「この前のグループワークではお世話になりました!」

女「いえいえ、こちらこそです」

男「ああいう発想ってやっぱりアルバイトとかしてるんですかー?」

女「そうですね! やっぱり人と多く接してるとあるかもしれませんね!」

男「ちなみにアルバイトって何を?」

女「カフェです!」

男「ああ、僕も経験あります! なんか女さんがああいう考えを持つ理由がちょっとわかりました! でも、カフェってことはマニュアルとかあって大変ですよねー」

女「いえいえ、私のやってるところは個人経営なのでマニュアルとかなくて、他のチェーン店とりは全然楽みたいです!」

男「へぇーそうなんですか! なんかいいですね。僕の友達にもカフェではないんですが、個人経営のアルバイト先で働いてる人がいて、全然楽って言ってましたね。個人経営ってなんか良いんですね! 監視が薄いとかそういう点で(笑)」

女「いいですよー! でも、ちょっと困ったことがあって」

男「というと?」

女「個人経営なので、その店長さんはその店のトップであるからその人を監視する人がいないから……そのまあセクハラがね……」

男「何か悩み事ですか?」

女「実は……」

はい。こんな会話を出したのは、どのタイミングで男は女の情報ではなく、本音を聞きだしたかを考察したいからです。まず男が入手した情報を整理しましょう。

・女はバイトしている

・バイトの内容は個人経営のカフェ

・バイト先は楽だがセクハラ問題がある

この三点程度である。だが、重要なのは三点目であるセクハラ問題。この話をした時に女の情報に情報以外の要素、つまりは「困っている」という感情が乗っている。私はこれを「本音」としておきたい。

つまりは「本音」とは情報に乗っている感情である。私が思いに、多かれ少なかれ本音を知っている知り合い関係はあっても、本音を一つも知らない友達関係はあり得ないと思っています。多分、皆さんも納得できると思います。

だから、私の定義における「本音」こそが友達と知り合いを隔てるキーワードになると思います。

逆に言えば、この「本音」をより沢山相手から得ることが、「友達の作り方」だと思います。

また親友とはあくまでも友達の延長線上にあるため、「友達の作り方」を何度も試行することで得られる関係なので、「友達の作り方」を何度も実行することを「親友の作り方」とさせてもらいます。

では「本音」を得る方法(友達の作り方)について展開していこうと思います。

単純に考えれば私は結局本音を得るには「相談」がベストだと思います。相談により相手の情報に乗る感情的部分(本音)を手に入れる。大事なのは情報だけを聞かないことだと思います。例えば「部活は何してるの?」「趣味は何?」「アルバイトは?」といった質問を繰り返すだけでは相手の情報が増えるばかりで相手がどんな本音や感情を持つ人間なのかが分からない。

そこで重要のが相談なのです。相談とは十人にして、十人が違う回答を出すもの。そこには必ず方法論的差違が出なくても、感情には差異が生じます。その差異が本音と呼べるものなのです。

具体的には三タイプの相談(もちろん細分化すると無数だから大別した結果)があります。それらは「相手の身の回りの相談」「自分の身の回りの相談」「社会的な相談」。より具体化すると

「相手の身の回りの相談」……バイト先での悩み・相手の交友関係の愚痴・他

「自分の身の回りの相談」……親類への誕生日プレゼント・自身の成績状況への評価・他

「社会的相談」……現内閣についてへの意見・共通する悩みの共有・他

こんな感じでしょうか? この辺についての相談をすれば、本音が聞けて、暁には友達関係が形成されるのでしょう。

本当ならこの方法論への違うアプローチを話したいのですが、先に「恋人の作り方」についてコメントしておきたいと思います。

基本、この世の恋人関係は一度は一瞬は友達関係を経由していると思います。つまりこの世の恋人関係は友達の延長線上にあるのは間違いないでしょう。ただ、延長線上にはあるけど、直線上ではない。どこかでなにかしらの変化が必要なのでしょう。

これくらいで「恋人の作り方」についての展開を辞めます。ネタ不足ように取っておきます(笑)

では、この「友達の作り方」の違うアプローチの悪用例を話しておしまいにしようと思います。

本音を聞き出すことが「友達の作り方」というなら、本音を聞き出されることは「友達の作り方」になるのでしょうか? ここに人の思いに漬け込むワナがあります。

人間は「本音を話す」と、仲が深まった気になります。正しくは仲が深まっています、「一方的に」。大事なのはお互いに「本音を話す」ことで、一方通行を双方的にして友達になる。ということです。

一方通行では相手に自分の本音という弱点になりかねないことを垂れ流しにするだけで相手が悪い人間なら悪用されてしまいます。大事なのは時にその相手と自分の関係を立ち返って、自分が一方通行になってないか確認することです。

また立ち返る際に重要のは、本音と情報を区別すること。特に人は深い個人情報を本音と誤認しがちです。昔、いじめにあった話を打ち明けてくれた友達、そこには本当に感情の記憶(本音)が乗ってましたか? 悪い男に引っかかった話をしてくれた女友達、そこには本当に感情の記憶(本音)が乗っていましたか?

そこに気をつけてみてください。まあ逆に言えば、そこを気付かれないようにすれば、人間を操ることがたやすいのかもしれません。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

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