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世界の中心にいるあなたに

過去投稿:2018/2/18

冷静に考えてみると、そうなっちゃうよねって話。

これからブログを使って、今好きな人に告白します! っていう記事ではないです。なんかどっかの売れない恋愛の小説の一説みたいですが、そうではなく、自分の世界において中心はあくまで自分だよね話です。

よく「あいつは自己中心的だ。世界は自分中心で回ってると思ってる」みたいに揶揄されますが、それを聴いてたまに当たり前やん! って思うことがあります。だって、その人にとって、誰もが自分が中心なのだから。

話をまとめていきます。自分にとっての自分の世界とはいったい何なのでしょうか?

それはきっと、自分が経験したことや見たこと・聞いたことによって形成されていくものだと思います。それって、あくまで自分が主体な経験なわけで、つまりは自分の世界ってやっぱり自分が中心に形成されていくもの。

当たり前ですが、でもなんか自分が中心のように生きてるって悪口に使われがちですよね。では、掘り下げとして、自分中心じゃない世界観の持ち方ってなんなのでしょうか?

自分が主体でなければいいので、とりあえずは他人の世界観とかは自分中心ではないとは言えそうですが、でも結局はそれはその他人という一定の誰かが中心になっている。そうなると、誰にとっても主体でない世界観を持たないと「世界は自分中心で回ってると思ってる」って言われてしまいます。

では、『誰にとっても主体でない世界観』ってなんなのでしょうか?

答えはきっと難しいと思います。誰もが中心じゃない。この世にいる70億人の視点すべての中心に主体を置く? それともどこかにいるかもしれない未知の知的生命体も加味する……? いやいや、生物以外のことも加味するべき? 単純に距離的な意味で、どこからも無限に遠い無限遠からの観測を行う? どれでしょうか?

どれがもっとも適切な答えかどうかは置いておいて、どれも観測するのが無理に近い。ここから何が言いたいかといえば、結局私たち人間は特定な誰か、原則的に自分が主体の世界観を持って、決断しなければならないということです。

では、上記のようなことが言えるのに、「世界は自分中心で回ってると思ってる」とはなぜ良くない揶揄として使われているのか。それは文字通りの意味じゃないからでしょう。

おそらく「世界は自分中心で回ってると思ってる」とはあくまで「独善的」とか「自分の利益しか興味がない」ということなのでしょう。

そうすれば、この言葉が悪口で言われることがわかるような気がします。私はかねてから思うことがあります。「独善的」って悪いことなんでしょうか?

例えば、自分が良い人と認められたいからボランティアに参加している人は「独善的」でしょうか?

例えば、自分がボランティアをすると満たされるからボランティアをしている人は「独善的」でしょうか?

実はどんな行動も結局は「独善的」なのです。福祉などはどこかで自分に見返りがあるから成立するもので、完全なる自己犠牲とはほとんどありません。動機不純と思われると思いますが、でも心の本当の真意とはわからないことの方が多い「です。

「世界が自分が中心」という考えも「独善的」も悪くない。結局は人は自分にとって、不利益なこと、言わばメーワクなことをされると、まるで自分以外の人間も被害にあってるんだ、と言いたげに「あいつは独善的だ」と言うのです。もちろん、実際に迷惑なことをしている場合もあるので、それがダメとも言わないですが。

この世の中は結局は批判する側も批判される側も自己中心的な世界観を持っています。どちらかに賛同する人達、どちらにも賛同しない人達、彼らもまた自己中心的な世界観を持っています。

だから私達は割り切って、「自己中心的な世界観」の何が悪い! って敢えて言いましょう。

はっきり言います、耳をかっぽじってよく聞いて欲しいです。

「あなたの世界はあなたが中心です」

まあたまにはこんなよくわからない記事の中に更によくわからない記事があってもいいのではないでしょうか?(笑)

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

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