私のペンネーム(希哲学者)の由来
過去投稿:2017/8/5
たまにはプロフィール的なことも書こうかなって話。
希哲学者と名乗っていますが、なぜ「希哲学」なのでしょうか? そもそも希哲学と哲学はなにが違うのか? 端的に言えば、一緒です。ただ何が違うかといえば、哲学とは日本の言葉です。哲学という物を日本の文学内でまとめて名付けた西周がそうしたから、そのような名前になりました。
遠い昔、私が尊敬するような哲学の祖タレス・医学を作ったヒポクラテス・人間に焦点を当てたソクラテス・その弟子のプラトンとアリストテレス、彼らが作り上げたφιλόσοφος(ピロソピア)はおそらくシルクロードを通り、中国へやってきて「希哲学」と漢字が当てられ、発展しました。
日本にも哲学者に値する思想家はいたでしょうが、彼らが哲学者としてのくくりが与えられたのは「希哲学」というくくりを輸入した西周の功績でしょう。
しかし、私は1つの疑問を持っています。それはなにか? その昔、哲学がまだ哲学じゃなかったころ、言わばピロソピアだったころ、科学と哲学はわかれていませんでした。だからこそ、自然哲学を語ったタレスや数学者ヒポクラテス、医学の祖ヒポクラテスなどが科学者ではなく哲学者として名を残しているのです。
言わば、ピロソピアは「科学と哲学の両方を分けない学問」であった。対して、西周が括った哲学は「哲学のみの科学を含まない学問」なのです。あくまで私の解釈ですが。
私があえて、希哲学者とした理由はそこにあります。私は人間に触れて、良い側面も悪い側面も見ました。そして、人間を知りたいと思いました。その思いは科学的であり、もちろん哲学的でした。だから、私は哲学者ではなく、よりピロソピアを直接訳したであろう希哲学を学ぶ者「希哲学者」でありたいと考えています。
はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。
写真:夜景
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?