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限定って言う言葉に弱い自分を愛したい

人間って希少価値を愛してるって言う話。

最近は暑いですねー、まあ投稿時は8/27で夏は少し終わりかけでしょうか? やっぱりこういう時期は、「夏限定」のアイスやらがでてきますね。スイカバーが夏の風物詩って言う人もいるのではないでしょうか?

今日はこの「限定」っていう言葉についての話です。

皆さんは限定という言葉に惹かれませんか? 「期間限定」「数量限定」そんな言葉に、場合によっては騙されていらない買い物をしてしまったことなんてことないですか? 私はありますね。

まあ悪癖とも言うべき、私の「限定」好きですが、それが人間の本質なのではと思っています。そこを今回は掘り下げます。

わかりやすいテーマとして、美味しいご飯と容姿端麗な異性(ジェンダー配慮するなら、魅力的な恋愛対象)の2つ例で話をしたいと思います。

美味しいご飯といえば、何が思い浮かびますか? まあ家庭料理!っていう親孝行や配偶者孝行の人とはさておき、家庭料理を除けば美味しい料理と言えば、やっぱり高級レストランの料理を想定する人もいいのではないしょうか?

ここには一つの間違いがあると思います。高級レストランででる料理が美味しい料理とされているということですね。いや、美味しいのは間違いなんでしょうが、高級レストランの料理が美味しいとされている、食べたこともないのに。本来ならば、美味しいとは主観評価なので自分自身が食してつけることができる感想なのに、高級レストランの料理は食べる前からなぜか「美味しい料理」というラベルがついている。当たり前だけど、不思議に思いませんか。

ここが人間の神髄で、「美味しいと評価されている料理」は自分が食べたことがなくても「美味しい料理」になるんです。もっと言えば、「美味しいと評価されている料理」を出すことが出来るレストランは全体のレストラン数の中では少ないために、価格設定を高くしてもドレスコードを指定しても文句は言われず、「高級レストラン」になれる。
もちろん、「美味しいと評価されている料理」を出すためのかかる料理的な技術や流通量の少ない食材が使われているから価格があがるのもあるんですが、それは価格があがる要素であって、それが許されている理由ではない。理由は前述のそれなのです。

つまりまとめるとですね。
とある「美味しい料理」をだしてもらえる場所、つまり限定的な場所、それこそが「高級レストラン」なのです。
もうなんとなく流れがわかったのではないしょうか? 次に行きましょう。

容姿端麗な異性とはなぜ容姿端麗といえるのでしょうか? それは世の中に他に容姿端麗ではない人間がたくさんいるからです。その中で容姿端麗であるということは人より優れている。つまりは、本人は意識せずとも容姿端麗限定という看板を背負って生きている。

本当に我々、顔が整っている人だから好きになるのでしょうか? 否、顔が整っている人が少ないから好きになっているのではないか? 実際のところはわかりません。しかし、結果的に我々は希少価値が高い物、絶対的に数が少ない物に、思い揺さぶられる。

世の中の魅力的なモノっていうのはすべてが「限定品」なんです。中高生が恋人を作りたいのは、自分が誰かの限定品「恋人」になりたいからっていうのもあると思います。流行というものは今はやっている、今しか流行らない、今一番盛り上がっている、やっぱり限定されているから魅力的なモノになる。

単に限定だから買うのはNGかもしれませんが、大事なのは欲しいものが何において限定されているのかを見定めて、その限定が自分にとって有用なのかを考えることだと思います。

まあ世の中は無情なことに、限定なのに「限定」と書いてくれないものばかりです。まずは自分で目の前のモノが何の「限定」なのかを考えることも大事かもしれませんね。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:軽井沢の東屋

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