見出し画像

いつも心に自分の物差しを!

他人を否定することでしか存在意義を満たせないのなら弱いと思う話。(過去記事の派生です)

今日は自己評価というものについて、考えていきたいと思います。正しくは、自己評価と言っても、自分で評価することであって、自分自身への評価、自己肯定感や否定感とかではないです。自分の尺度を持つということですね。

そもそも皆さんは自分の物差しを持っていますか?

私は自分の物差しを持つことはとても難しいと思います。物差しとは言いましたが、実際のとこは現実世界でも角度を測るには分度器が、長さを図るには定規が、重さを図るには天秤が必要な訳で、世の中のすべての事象について、自分の物差しで測るとなると、大量の物差しが必要になる。

そもそも自分の物差しを作るには結構大変で、正しくは自分に対しての利益を取りこぼさない物差しを作るのは難しくて、その事象について知識を集めて、それをまとめて理解しなければならない。物差しって作るのに時間や気力などの労力が必要なんですね。

ただそれでも1つのことに対して、物差しを持つのは決して難しくない。でも、その数を増やすことはとても大変で、一度しか使わないかもしれない物差しのために、自分の考えをまとめるのは面倒なことが多いと思います。

そうなると、人は2つの方法を用いると思います。①他人の物差しを使う、②物差しではなく実物を並べて評価する。 実際にはこの2つの方法と自分の不完全な物差しを組み合わせている人も多いと思います。では、1つずつ話していきたい。

①他人の物差しを使う。 これはすごく単純で、誰かが導き出してくれた評価基準を用いて測るだけです。まあ厳密言えば、自分の物差しも他人の物差しを理解してインプットしてそこに自己解釈を多少なりとも加えてアウトプットしていると言えるので、他人の物差しと自分の物差しの境界は難しいです。ただ現実では、調べるという作業をしなかったり複数の意見に傾聴したりなどをせずに、妄信してる誰かの考えをそのまま自分の意見として発信する人がいる。これは混じり気もなく、「他人の物差し」と言えるんじゃないでしょうか?

他人の物差しの良い所は、やっぱり自分の物差しよりも簡便に手に入ること。そして、責任の所在が分散することが出来ることだと思います。その物差しを使った人にも責任はあるが、作った人にも責任が乗る。だから、精神的にも時間的にも簡便に用いられる。悪いとこはそれがいかに正しくても、手柄が自分のモノにならない。ある程度はその物差しを見つけたことや選んだことが評価されるが、実際はその物差しがすごいよねってことになる。

②物差しではなく実物を並べて評価する。 これはもっと単純。評価対象をいくつか持ってきて、どっちの方が良いのかを評価する。物差しを作る必要がない意味で、とても能率的だと思う。部分的にいい部分が見えてくることも多く、組み合わせて評価することができる。この評価方法が出来るなら、この評価方法をした方が良いともいえるレベルです。

しかし、もちろん落とし穴があります。まず大きな落とし穴として、2つ以上の評価するモノが必要。あくまで「比較」するので、評価したい事象に所属するいくつかを見つける必要があります。またいくつか集まったとしても、それに偏りがあって、全体が見通していないのであれば、正しい評価が出来ないかもしれない。

さて、話が抽象的で意味わからん状態だと思いますので、救急での医療を具体例に出して考えてみたいと思います。まあシチュエーションのテキトーなので、医療従事者の皆さんになんとなくで笑

えー、血圧が低くて、体温が高くて、呼吸が早い、そして意識がはっきりしない患者がいたとして、それを救急医たちはどう評価するか、という例にします。

自分の物差しを用いる人は、それらを見て身体診察や血圧計・体温計を用いた簡易的な検査などで状態を把握して、患者の状態を把握します。

①他人の物差しを用いる人は、まずは患者の状態からどのような検査が必要かを文献や人に聞くことで用意します。そして、それらの結果を既存の基準(qSOFAスコアなど)に照らし合わせて、患者の状態を把握します。

②物差しではなく実物を並べて評価する人は、これまで来た患者や今いる他の患者との評価します。あの元気な人よりも血圧が低いとか体温が高いだとか、あとは前運ばれた人よりも血圧が高いとか、体温が低いとかですね。それによって患者の評価をします。

まあここまで話せばわかるかと思いますが、実際には①と②の繰り返しによって、既存の基準を暗記したり沢山の患者を診るなどの経験をしたりで、自分の物差しが形成されるわけで、①と②が間違っているわけではないです。

ではあえて、極論で話せば、他人の物差ししかない人は、救急性に欠けませんか? いちいち、文献や他人に立ち返らないと行動がとれないのは一刻を争う時には大きな隙が生まれる。対して、②物差しではなく実物を並べて評価する人、これまで担当した意識が悪い人が、大したことなくて今日の人が凄く悪い時に評価を見誤る可能性が高くなります。①にしても②にしても、それでも出来るが自分の以外の何かに依存していているがゆえに、最適解かと言われれば微妙です。

ただ自分の物差しを用いる人がベストかと言われれば違う。自分の物差しが間違えていることなんて多分あり得る。だからこそ、①や②で補助するわけで。重要なのは「正しい自分の物差し」、それを形成するには①と②を自分の物差しと同様に使い、吸収することで、より正しい自分の物差しにブラッシュアップすることです。

つまりはあらゆる①や②を踏み台にした「洗練された正しい自分の物差し」こそ至高であるというのが私の結論です。

では結論を出したとこで、①と②を使いがち、正しくは①や②を使った判断する比率が高い人にありがちなことを書いて終わりたいと思います。

①他人の物差しを用いる人は、自分に自信がなく無責任な人が多い印象です。自分の考えに確証がないため、虎の威を借りる狐になりがちで、無責任であるから他人の考えを自分の中で解釈せずに言ってしまう。能動性に欠ける人が多い感じ。

②物差しではなく実物を並べて評価する人は、自信家で批判しがちの人が多い印象です。自分と他人を比べて、自分を正しいとしたいがゆえに、相手を下に下げることを言ってしまう。2つ以上の評価のために最低限でも自分と相手を使うが、自分を正しくしたいという人間の性質が裏目にです結果だと思います。偏見が強い人が多い感じ。

上の2つの例から考えると、自信過剰も自信過少もダメなことがわかりませんか? 自信がないと、自分の意見を言えなくなる。自信がありすぎると、他人の意見を受け入れなくなる。結局は適度な自信こそが、正しい評価を下す物差しを形成する気がします。

今回は救急医療を例に出してみましたが、あらゆることで自分の物差しを持つことは重要だと思います。ただ大事なのはそれだけじゃなくて、常に他人の物差しや他との評価も重要。法律の世界で言うなら、自分の倫理観が最も重要だが、憲法・法律などの社会的ルールやこれまでの裁判の判例も重要である、みたいな感じですかね。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:平安神宮

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?