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導く人々は凡人のフリをせねばならない(自己啓発セミナーの意味を問いたい)

過去の記事を読み直して考え方をブラッシュアップしたい話。

この記事は昔書いた「自己啓発セミナーってあんまり意味ないと思うの」っていう記事を読み直して思ったことを書いてみる(偏見強め)。一種のリメイクみたいな記事です。下記リンク

自己啓発セミナーを開いてる人って、なんで選ばれし者みたいな感じのスタンスを取る人が多いのでしょうか? 俗に言う成功者で自己啓発セミナーをやっていない人が「自分は天才だ、才能がある」って言っている分には良いんですが、誰にでもできるみたいなことを言っておきながら、「自分は天才だ、才能がある」みたいなことを言う人ってどういうブランディングしているんでしょうか?

まあ具体例を出した方が良いですかね、ある程度ぼかしながら笑
・事業に成功して「異名」までついているのに自己啓発している人
・社会的地位の配偶者になったと言いながら容姿が良いと言う人
・天才さを誇示しながら誰にでも難関大学合格可能と言う人
このあたりですかね。厳密にはこれらをすることで、金を稼いでいる人ですかね。

私はなんで凡人アピールしないんだろうかと思うんですよ。
センスや運にも左右されず、容姿も恵まれず、学業でも特筆したアドバンテージがない。そんな人物がこういう方法の努力をすれば成功した、というのを基盤に自己啓発セミナーを開催するのは良いのですが、自分を天才・一種の神のような偶像化させるのは需要に一致してない売り出し方なんじゃないでしょうか?

だって、自己啓発セミナーを開いてる側はあくまで「持っているから」成功したのに、それに参加する人々は大半は「持たざる者」なわけで、なのに自分の成功する理由を天性の才能や時の運で売り出すのは間違ってないか?

いや、まあこれって別にお金の稼ぎ方としてあってるんだと思います。それで実際に人が集まっているわけだから。でも、参加する人がよくわからない。

ここで突然、宗教の話をするんですが、モーゼとキリストとムハンマドって知っていますか?
彼らは俗言う預言者って奴ですね。大事なのは「予言」ではなく「預言」であること。これらの人物は、宗教上「神」からの言葉を「預かっている」ので預言者とされています。すごくダサく言えば、仲介してるみたいなもんですね。

私はどこの宗教も信じる気なんてさらさらないんですが、私が思うに「モーゼとキリスト」・「ムハンマド」の2つにわけることが出来ると思っています。というか、結構有名な学説(俗言う聖人性の議論)だと思うんですが、前者の2人は超能力を有していて、後者のムハンマドはただ神の声を聴けただけ(正しくはガブリエル越しとも言えるかもしれないですが、詳しくはないので簡単に流します)

海を割ったり、触れただけで傷を治したり、槍で刺されても生き返ったり、そういうことがなくてあくまで預言者である1人の人間として語り継がれている。

突然、宗教の話をしたのはちゃんとした意味があってですね。言わば、自己啓発セミナーを開いているのに、自分を神格化しているような人は前者みたいな感じになってるんじゃないかっていう話です。

信じることで救われる。学ぶだけでお金が稼げる。誰でもできることをすることで成功する。それを目的にした教典や教科書のはずなのに、それのモデルになった人・それを書いた人が最初から特別である。というのは変じゃないですか?

自己啓発セミナーに所属している人は、そのセミナーの開催者に対してとんでもない信仰心を持っている人もいますが、その信仰心が強ければ強いほどにドンドン自己啓発の意図から離れていることを感じる必要性があるんじゃないかなーって思います。

たまーに、誰誰さんのファンで成功しましたみたいな人はいますが、彼らはおそらくですがその対象に対して好意を持っていますが、それは信仰心ではなく「誰誰さんは自分と同じ○○っていう状況だったけど成功した」のように成功の1例として好いているんだと思うんですよねー。

「成功者になりたい」と思って成功者に好意を持つのなら、「凄い人」だと思って線引きするのではなく、成功した1例として観測することがベストなんじゃないかなーと思う今日この頃です。
まあ、その成功者が好きでお布施したいというなら好きなだけしていいと思います!

写真:そろそろサクラ咲け

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