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ガセネタって誰が悪いんや

所在不明の情報って責任の所在もわかんないって話。

今回は時事ネタから拾った話になります。ネタ元の記事を下記に示します。

ヤフーニュースのリンク切れをするとこの記事がわけわからんとなるので、簡単に事案概要を。
元アイドル活動をしていた現実業家として、ラーメン店を3つ経営している女性である。彼女が4店舗の開店に伴い準備していた際に、その取引先の会社に「彼女が反社会的勢力と繋がりがある」と言ったデマ情報を流す他、ネット上で誹謗中傷ともとられる投稿をした男性が、彼女から訴えられた事案である。民事で名誉棄損、刑事で威力業務妨害で提訴する運びのようです。

さて、ここで注目すべきは訴えられた男性の言い分で「知り合いから聞いた。それが本当だと思っていた」「あくまで善意で取引さに連絡をした」「そんなに悪いことをしたという認識はない」というようなコメントをしていることである。

※事案については間違った解釈をしている可能性もあるので、この記事ではこういう事実がありました。という話ではなく、こういう事案が発生したとして、こういうことを考え付いたということ、上記の文章ような1例として思考します。

実はこの事案って言うのはたった1つの事実で現状がひっくり返されかねない事案だと思うのです。それが反社会的勢力との関係の事実の有無です。まあ誹謗中傷の方は事実っぽいので、そちらでは男性側が負けると思います。しかし、反社会的勢力のほうは事実であれば問題ないんじゃないかと思います。もしも事実なら、事実を言っただけですしね。

ただこれはここまでの事例としての話であり、被害者女性が被害届を警察に出している訳で、調べれば反社会的勢力のつながりの有無はすぐに浮き彫りに出るでしょうし、繋がりがないからこそ訴えを起こせたわけなので、ほぼ確実に繋がりがないと言える。

さて、本題を話しましょう。確実に繋がりがないとして、この男性が言ったことは「ガセネタ」となります。このガセネタとは誰が悪いのでしょうか?

男性の話を鵜呑みには出来ませんが、本当に第三者から聞いたとした場合に、悪いのはこの男性なのか、その第三者なのか、それともそのような中傷の的になってしまうような活動があったかもしれない女性なのか?

まあ最後だと思う人は結構……まあいいでしょう。もしも嫌いでも害を与える行動はしてはいけない。いじめと一緒ですね。いじめられる理由があってもいじめてはいけない。なので、彼女が悪い説は置いといて、ほか2つを考えていきましょう。

情報を作った人が悪いのか、情報を広めた人が悪いのか。結論としてはどっちも悪くて、どっちの方が悪いかはケースバイケースなのでしょう。

例えば、その辺のファミレスで話のネタとして有名人の悪口で「あの人って○○してそうな顔してるよね」みたいな発言をして、それを聴いた別の人物がSNS上で「あの芸能人は○○しているらしい」と拡散したとする。
このケースであれば、広めた人のほうが悪そうです。ただTPOをわきまえずに他人の悪口を話した人も悪そうです。
今回の事案はこれに近い部分があると思います。反社会的勢力とのつながりを指摘した人間がいて、それを勝手に広めた。それも今回の事案の悪質なところはSNS上で不特定多数の人間に流すのではなく、彼女の取引先に連絡している訳で、本人は善意と言っていますが、事実確認が取れていない情報を故意に流したわけで、彼女に対しては害をなそうとしていたのは感じ取れます。

さて、このような事案は今回の例だけではありません。最近の話をすればやはり、例のウイルス関連やそのワクチン関連の話でしょう。科学的な事実関係が不明な情報を発信する。また、そういう未確認の情報だよと分かるように発信していない、断定的な表現をする人がここ1年ですごく問題になりました。

これこそ、私の考えでしかないですが、SNSなどのネットの発展により個人での情報発信が可能になり、大げさな言い方をすれば誰もが新聞社を持っている状態になりました。その新聞の購読者の数に関わらず、その情報を事実か否か確認をせずに発信する、そして確認できてない情報なのにそれをわからない様に発信する。少し前はきっとガセネタを作った人間が最も悪いとされている気がします。しかし、この誰もが新聞を作れる世の中においては発信者側に大きな責任が伴う気がします。

某配信者で、「Twitter公式マークを公式Twitterにつけないんですか?」という質問を受けて、「そんな責任が伴うことはしない。言いたい発言したい」と言っている人を見かけましたが、それを今回の事案やウイルス関連で思い出しました。

有名となりフォロワーが増えた以上は、言いたいことを言ってもいいですが、もうそこには責任が伴っている。自分のファンがやらかしたら自分に非難が飛んでくる、それは仕方がないことです。

誰か有名な人によって認定されることで発言力と責任が持たれる場合もあるでしょう。しかし、沢山の人に知られるだけでも発言力と責任を持つ世の中になったのだと思います。言い方を変えれば、前者が絶対的な認定であるように、後者は相対的な認定なのでしょう。

もはや発信力とは個人で制御できるものじゃない。私はそういうものになったんじゃないかなって思います。

さて、話がブレブレなので、最後にちょっとまとめましょう。世の中は変わり、もはやガセネタを作る人ではなく、ガセネタを広めた人間に重い責任を負わせるように変化したと思います。そして、その情報がガセネタだろうとそうでなかろうと、その発信力は本人がどうこう出来る話ではない。という話でした。

まあこの話には致命的な欠陥があって、それは「受け取り手の話」がないことですね。例えば、私が「私は宇宙人と地底人とツチノコと精霊のクォーターだ」と主張しても誰もどうも思わないわけで、それは私の情報を誰も「本当だと思わない」からです。つまり、いくらでもガセネタを発信してもそこに、受け取り手による拒絶があれば、問題ないという話でもあります。

逆を言えば、いかに真実でも受け取り手に拒絶されたら……。

まあそれはいいかー笑

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:観☆覧☆車

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