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自己啓発セミナーってあんまり意味がないと思うの

教えを乞うのって難しいよねって話。

最近、違う記事でも書かせてもらったネタからの派生になるのですが、昨今では社会的成功を収めた人が自身の考えを書籍にまとめて出版する自己啓発書であったり、もっと現代風なものを言えばオンラインサロン的な方法で自身の考えを配信したりしています。

これらの本を購入したりオンラインサロンに参加したりについてはこの後まとめるので、そもそもそういう人の稼ぎ方については、とても素晴らしいと思います。前の記事では発想することを永久機関のように外部から供給してもらえら素晴らしいと書きましたが、これは稼ぎ方も同様で、成功から更に金を生み出すことが出来る。とても合理的で利口な手段だと思います。

ではそれらを享受している側はどうなのでしょうか?

私はどこまで意味があるのかに対してすごく疑問を感じます。えっと先に言っておくと、成功者のファンで単純にその成功者にお布施をしたい、自身の財産の一部を挙げたくて、本を購入したり参加したりするのは良いと思います。買った時点で入った時点でそれは達成されています。ただその成功方法を貰おうとしているのは意味がないと思っています。

ではその理由を深掘りします。まずは成功論と成功例の違いについて話すのが簡単だと思います。成功論と成功例とは密接な関係にあり、完全に切り離すことは出来なくとも成功者の語るメソッドにはどちらも必ず存在します。

成功例とは単純に成功した事実です。Aという事業を始めた、Aという事業はBという部分に需要があった、Aを主力として展開している企業がなかった、他社競合もなく需要があったから自分は成功した。実際にはもっと複雑でしょうが、よくありそうな一つの成功例っぽいのを考えました。

成功論とは成功例の基にある考え方、理論です。さっきの例を言うなら、需要があるながらも競合他社がない所を探して事業展開することが成功論になるのでしょう。

なんとなく言いたいことが既に伝わっている気がしますが、わかりやすく表現すれば、成功例って倣うだけでは成功しないんです。上の例で行けば、それを同じようにやったって、もう先に成功している競合他社があることになる。同じよう成功を収めることが出来ない。

別に違う成功例でも同じようなことが言える。同じようなことをすればいいのではない。重要なのは成功論の方です。なぜ成功したのかを習うことには意味がある。

でも、ここにも落とし穴があると思います。成功論ですら、成功者が書籍やオンラインサロンで提供してくれる時期では過去のものとして風化している可能性が十分にある。

こういう考えを持てば成功しますっていう成功論は別に本人から語られなくても、事実として成功例として積み重なっており、成功者本人ではない人がそれをリアルタイムで観測して分析して、成功論本人ではない人は成功論として確立して実行している可能性が十二分にある。

成功者が自身の成功から成功例や成功論を語るころには、お手付き状態になっている可能性があるということです。

だから、書籍・オンラインサロン・セミナーなどは自分の成功のために享受するモノではなく、自分の自己満足のためにするべきだと私は思っています。

もしも本気で成功したいと思うのならば、今成功している人物をリアルタイムで追いかけて、その事項を分析して成功論に自分の中で育てて、すぐに実行に移す方が現実的な気がします。

あと、抜け道として成功例+αで大成功また違う形での成功する例が存在すると思います。具体的には、蒸気機関・望遠鏡・宗教ですかね。

蒸気機関は実は最初の発明家はトマス・ニューコメンと呼ばれる人だとされています。でも、彼よりもジェームズ・ワットなどの方が技術者として有名だと思います。知名度や反響で言えば、ワットの方が成功している思います。常に起源が一番成功するとは限らないということの一例です。(すいません、物理畑や有識者にとっては違うかもしれませんが)

望遠鏡についてもオランダ式望遠鏡が存在していて、それはガリレイが再現してガリレオ式望遠鏡が生まれ、空を見る分には上下左右よりも遠くを見れるケプラー式が良いとされて、最終的にはニュートン式望遠鏡が生まれるわけですが。私の知識レベルだと、オランダ式とガリレオ式は大差ないですし、ケプラー式は凹レンズと凸レンズだったのを両方とも凸レンズにしただけだし、とどこが一番知名度を得て成功したと言えるかは何とも言えません。(ニュートン式だけはプリズムとか使ってレべチなのでスルー)

宗教は顰蹙すごいと思うので、軽く書くと、ユダヤとキリストとイスラームは実際には同じ教典(旧約聖書・新約聖書・コーラン)を持っていますが、宗教人口や進行地域が結構違います。今風に言えばバズり方が違うというか。これもすべてが異なる成功の仕方をしたと言えるのではないでしょうか?

まあ3つも例を出していいたいことは一緒で、倣うことに決して意味がないわけではなく、倣った上で「どう流布するのか」「どう活かすか」っていうのも成功する方法なのではと思います。(まあそうやって、習い倣ったものを発展させるかを考えた時点で、そこには新しい成功論が生まれているような……)

まあ主題からズレ始めてきたので、まとめると、成功者の話というのはすでに成功した事実が歴史になっており、古くなっている可能性がある。それを享受するには成功論として受け取って、その土台を自分の人生に活かすことになる、ということが私の考えですかね。

本当は宗教化していくオンラインサロンっていう話もしたかったんですが、今回はスルーで。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:固着性の魚の群衆

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