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あー、今日ダメだって日にどうする?

やる気が出ない日ってどうやってやる気を出すかの話。

今日は、自分のやる気を引き出す方法について考えていきたいと思います。まあ先に書いちゃうと、人のやる気の出し方なんて、千差万別で人にとやかく言われることじゃないと思うんですよね。なので

《完》

っていうわけではなく、やる気を出す方法を考える方法を考えていきたいと思います。回りくどいな―、おい。

そもそも同じ人でも、いつも同じ方法でやる気を出している訳ではないと思います。時には励まされてやる気になる、時には煽られてやる気になる。やる気の出し方は一個人の範囲でも、単一で単純ではなく、実際には複数のシチュエーションに対して、複数の方法論だと思います。

今回は敢えて、2つのシチュエーションに絞って、そこからやる気を出す方法について考えていきます。

1つ目は無気力なときです。まあ単純にやる気がしない時ですね。私はこういう時は俗言う「励まし」が必要だと思います。その形態は人によって自由ですが、正に精神的なエネルギーが必要になる。説明は難しいですが、自分にご褒美を与える方法や誰かから煽ってもらう(実際には一方的にライバル視する)ことでやる気を得ています。この言い方は好きではないですが、やる気がゼロの時は、それを何でもいいからプラスに引き上げないとどうにもなりません。

ちなみに、私の勝手に思っていることですが、精神的なエネルギーを外部から取り入れる方法は複数必要だと思います。精神的なエネルギーとは耐性があって、同じ方法で摂取し続けると行動に移すまでの必要量がドンドン増えてしまう。だから、いくつかの方法を作り耐性がついたら(いわば飽きが来たら)次の方法に変える。または、いくつかの方法を回すことで耐性が付かないようにする。コンスタントにやる気を出し続けるにはそんな工夫が必要だと思います。

2つ目がやる気が阻害されている時。これは無気力とは絶対に違う存在だと思っていて、割かしヒトはやる気が出せない時はこっちの因子の方が強いと思います。さっきの例えはやっぱりあまり好きではないので言いたくはないですが、いわばやる気がマイナスの時ですね。これはさっきのようにやる気を出す方法を作ったりいくつかの方法を試したりとかもすべて無駄。おおよその人はこういう状況でやる気がない時は、色んな方法を試して、何故かやる気が出ないなと思いつつパフォーマンスを下げて活動して、気付いたら時間が解決してくれる、みたいなことになっていると思います。

時間が解決してくれるのはこちらのやる気が出ないシチュエーションにおいて、重要ですがそれでは能率が悪い。では、こちらはどうやってやる気を戻すか? 実に簡単で、やる気を出ないようにしているナニカを取り除けばいい。

よくあるパターンではストレスのかかる失敗をした、自分の意義が見いだせない、やることをやりつくした感じがする、みたいな感じで、やる気がマイナスになります。そこにいくら気晴らしをしても別にその原因が消えるわけではない。だから、人は待つ、その原因が気にならなくなるまで。私が言いたいのはそれを取り除けば、少なくともやる気はマイナスからゼロまでは持っていける。

取り除くには基本的には失ったものを取り戻すしかない。失敗したなら、その理由を追求する。自分の意義を見出せないなら探すか見出してもらう。やりつくしたなら次にしたいことを見つける。

この2つのシチュエーションで何よりも大事なのは同じやる気が出ないをゼロとマイナスの状態では違うと差別化すること。やる気のない自分に意味のない(場合によっては更にやる気をそぐ)ことをしない。せっかくやる気の出し方を知っているのに、マイナスになった自分にそれを行い、その出し方に猜疑心を持つようなことは意味がない。単純に無気力なときに理由を探し続けるのも意味がない(理由がないのだから)。

人間は常にやる気を出し続ける生物じゃない、やる気の低下は一種の危険信号。やる気が低下したことを咎めるのではなく、やる気を戻す方法を模索するべきだと私は思う。

さて、最後に元も子もないことを書こうと思う。ここまでやる気をあーだこーだと書いてきたが、やる気に関係なくパフォーマンスを維持する方法がある。それは「ルーティン」だと思っている。この言葉を聞くと、一流のスポーツ選手が自身のパフォーマンスをする前に行う一定の行為だと思う。

ルーティンは素晴らしい。イメージで言えば、スイッチを入れるだけであとは半自動的に体と心が動いてくる。ただ実はこのルーティンは作るまでが非常に大変である。私が思うにスポーツ選手のルーティンとはあくまでスポーツ前の準備運動の方法は独自に洗練され、ルーティン化した。つまりは、作ろうとして作っているわけではないように思える。

ルーティンは出来てしまえば、(異常にコストや時間がかかるとかではなければ)ほぼデメリットなしだが、出来るまでに異常なほどの回数の同一動作を行い続ける必要がある。それはやる気を出すためではなく、初めは精神的には無意味である。ルーティンを作り出すうえで、一番重要なことは今継続している動作や癖をしっかり認識して、それを自分のパフォーマンスを維持させたい事項とみっちり関連させることだ。そうすれば、今あること続けていることを結び付ければいいのだから0から作り出すよりは敷居が低いはずだ。

しかしルーティンが出来ても「やる気」が大事ではないわけではない。もしもスポーツ選手に例えるならば、ルーティンとは運動のパフォーマンスを100%に持っていくのがルーティンであって、その先の120%には必ずと言うほど「やる気」が大事だと思う。

理想は単純だ。ルーティンで基盤を作り最低限のパフォーマンスを約束し、やる気を出すことで最高のパフォーマンスを目指す。

いつだって思う、こうやって机上の空論を描くのは簡単だ。行動に移すのがもっと簡単ならいいのに。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:結局ソメイヨシノってサクラの王様って感じがする。

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