ながら作業の価値について
過去投稿:2017/10/13
テレビ見ながらゲームやりたい話。
知り合いがテレビを見ながら、エクセルの打ち込みをするといい、てきなことを言っていて思いついた話。ながら作業とはどこまで効率的な物なのか?
まずはながら作業について定義づけをしていこう。今回は、あくまで「二つの作業を同時におこなう」ことをながら作業と定義しよう。
では、具体化をしてみよう。今回は単純化するために、AとBという二つの作業のみをすると仮定する。AとBに直接的な関りはなく、Aが進行すれば、Bも進行するということはないとする(逆も然り)。AもBもどちらも単体で連続でするだけの場合は一時間で終わる作業としよう。この仮定の下展開していこう。
まず、AとBをそれぞれやった場合は二時間で作業が遂行されることになる。では、次にながら作業としてやってみよう。ここで、作業効率を考えてみて欲しい。(一時間連続で作業した場合の作業効率を100%とする)
ケース1:Aはながら作業で行うと、一時間あたりのAの効率は50%になる。Bも同様に50%になる
→このケースの場合は一時間のながら作業が終わった時点で、どちらも50%終わっていて残りも同じように過ごすのだから、AとBを連ねてやった場合と変わらず2時間で終わる。
ケース2:Aはながら作業で行うと、一時間あたりのAの効率は80%になる。Bは30%になる。
→このケースの場合は一時間のながら作業が終わった時点で、Aは80%も終わっているが、Bは30%しか終わっていない。しかし、Aは残り0.2時間で終わり、その0..2時間にもBは進みかつ残りの0.8時間はBのみに没頭、つまり残りの時間はBの効率が100%になる。ということは通常より、0.6時間の短縮ができる。
具体的な数式を用いれば、AやBのみの一時間当たりの作業効率を1として、ながら作業時の一時間あたりの作業効率をそれぞれα・βと置けば、今回の過程においてはα+βが1を超えれば、ながら作業の方が効率的といえて、1を下回れば不効率といえよう。
もちろん、これは過程であり、人間の疲労度などを加味していないために正しいとは言いにくい。ただ数式上はこうなる。
小難しい数学まで出して何が言いたいか? それは単純で、ながら作業をする意味を考えて欲しいからである。もしも効率的だと思っているなら、こういうことも考えた方がいい。もしもつまらない作業に色を増やそうと思ってやっているならわかるが、なんとなくながら作業するのは無意味だ。
人生は思ったより短い。出来るだけ濃い人生を送るにはそこに「効率性」でもいい「娯楽性」でもいい、なんでもいいから意味をつけてみて欲しい。
はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。
写真:庭園
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