モチベーションってあげる必要あるの???
わたしなりのやり方を書いてみたい話。
基本、ネタの拾い場所がYoutubeの希哲学者です。先日、好きなYoutuberさんがモチベーションのあげ方について語っていました。ざっくりした内容はモチベーションは上げるのは難しく、維持するのが楽。偶発でも必然でもいい、何でもいいから上がったらそのモチベーションを維持することに尽力するべきという話でした。
ああ確かにな―と思いながら、私には私で別にモチベーションのあげ方があるなーと思いました。正しくはそもそも論モチベーションというものへの考え方も違うんですが。
私はモチベーションが上がらない時に、モチベーションとはなんなのかを考えるようにしてます。
すごく例えばですが、皆さんはご飯を食べる時や眠る時に、モチベーションをあげる必要があるのでしょうか?
多くの場合であげる必要がないと思います。しかし、時たま極まれに、食欲や睡眠欲を満たすためにもモチベーションをあげないといけない時はありませんか? 一例ですが、それは大体体調が悪い時です。食事や睡眠でさえも面倒に感じる。そういう時は、体調や生命維持に関わるからと思って、自分のモチベーションをあげているはずです。
勉強しないといけない、仕事をしないといけない。それって(マズローの欲求段階的な)欲のレベルは違えど、欲の一種なんじゃないでしょうか?
勉強したい欲・仕事したい欲と置き換えることが出来れば、その欲があるのにそれが出来ない今の状況は、食欲があるのに食べたくない時や睡眠欲があるのに眠りたくない時と同じ状況じゃないでしょうか?
ということは体調が悪いということなんですよ。そしたら、どこが悪いのかを考えればいい。それは身体的かもしれないですし、精神的かも知れない。原因があれば、そこを是正すればいいです。でも、俗言う「モチベーションが上がらない時」というのは、そういう理由がないことが多く、体調が普通であることが多いです。
ではどうすればいいのか。正しくは、どう解釈すればいいのか?
自分はモチベーションが低いわけではなく、普通にモチベーションを既に持っているということなんじゃないでしょうか。もしもそうなら、やれないはずがない。やる気が無いような気がするだけの思い込み。頭を空っぽにしてスマホの電源を切って教科書を開けば、案外勉強できたり仕事出来たりするものです。それでも、出来ない時は多分、体調が悪いです。
私はモチベーションというものをもっとフラットに考えればいいと思っています。なぜモチベーションが上がらないのか? と考えるのではなく、状況からモチベーションが低い理由を考える。低い理由がなければ、そう思い込んでいるだけで、案外モチベーションは気付かないだけでもう既に手の中にあるかもしれない。
逆に、モチベーションというものが既に手にあると思うことの弱点(モチベーションをフラットに考えることの弱点)は、モチベーションを高い状態ではないため、目移りがしやすいことです。やる気があるという状況とない状況が隣り合わせで存在しているのでそれはそうです。だから、目移りしにくい環境を作る。勉強机に遊び道具は置かないようにする。
またその逆も然りで、勉強・仕事に入りやすい環境を作っておく。勉強にしても仕事にしても準備が面倒なことがしょっちゅうです。家に帰ったら・仕事場に着いたら、手を洗うように教科書を机に置いたりデスクのPCに電源をつけよう。そしたら、あとはモチベーション云々ではなく、机に着けば勝手に勉強や仕事が進む。
家で難しい人はカフェでもなんでもいい。モチベーションは上げるもんじゃない、やる気は出すもんじゃない。「やりたいという欲」や「やらなくていけないという使命感」がある以上はもう既にモチベーションもやる気もそこにある。あとはそれを消費する環境を作ってあげるだけでいい。
こんなんが私のモチベーションのあげ方、もとい私のモチベーションへのスタンスですね。
はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。
写真:ムスカが意外と読んでる奴