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群れって考え方によっては食べ放題?

過去投稿:2018/2/22

弱者って群れるっていうけど、強くなったわけでは無いよねって話。

「強者は群れない。弱者は群れる」みたいなことって言いますよね。また動物の中には群れを成すことで、生存競争に勝ち残ろうとする生き物っていますよね。それって、本当はどうなのでしょうか?

まあ正直言うと、強者が群れなさいとか弱者が群れるとかが自然界でどうこうとかはどうでもいいんです。そりゃトラやチーターの強い肉食獣は群れを成さないし、弱い草食獣であるシマウマは群れを成すかもしれない。でも、強い肉食獣であるライオンは群れを成すし、弱いとされる草食獣でも群れない場合もある。今回は人間がグループを作る理由についてです。

先に結論から言いましょう。

「弱いものが集まってできた群れは雑魚い」

以上です。

理由ですが、自然界の生物たちは自分たちが弱いから群れているのではない。強い弱いじゃなくて、生き残りやすい方法が群れか単独かで生きているのです。ただ人間の群れはそれとは違う場合があります。仕事でないプライベートな部分でそれはよく生じます。

ではわかりやすい例を出してみましょう。学校を思い浮かべて欲しいです。

確かに趣味や部活が同じことでできるグループや仲の良さや気の一致から形成される群れもありましょう。しかし、学内で地味とか弱いとかで考えた時に思い浮かぶグループって仲が良いのでしょうか?

実はですね。弱者がグループを成すのは弱者であるからであって、群れると強くなるからではない。動物のように群れることが最善だからではない。

次に冷静に弱者とはなぜ弱者なのでしょうか? 答えは弱いからです。じゃあ、弱い奴がグループを作ったらどうなるのでしょうか? 答えはこれも簡単で、粗悪品ばかりで組んだ機械がうまく動かないと一緒で結局は酷いカタチになります。

何が言いたいのか。群れることは達成したい「目的」のために「結託」したグループや群れは強いのです。どんなメンバーがいても。そして、それがないグループや群れはどんなメンバーがいても弱い。

よくよく考えてみたら、あんなに学校や会社などの社会でもカリスマ性のある人で集まってるのにちょっとしたいざこざで壊れちゃうグループとかありませんでしたか? それはそこに目的がないからです。

目的は何でもいい。明文化されている必要もない。単純に「仲良くしたい」っていう目的があれば、もっと壮大に「学校で人気者になりたい」、商業的に「このプロジェクトを成功させたい」っていう目的でも、なんでもいい。あれば強い。なければ弱い。以上です。

つまりはですね。弱者が集まってできたグループなぞは強い側からすれば、捨て石に出来る踏み台の集合でしかなく、それこそ食べ放題状態なわけですよ。ですから、我々が「弱者であること」を理由に群れていけない。

なぜ弱者は弱者になってしまったのでしょうか?

私が思うに依存こそが弱者を生むんだと思うんです。

正しくは強者は依存しない。依存ではなく、分配や協力をするのが強者な気がします。そうすれば、先ほどの話も裏付けができます。依存する者同士が集まっても、依存できるような柱がないため、結局は共倒れする。

まあ何が言いたいかと言えば、意味なく群れると良くないよってことですね。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:カップルのいない鴨川

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