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思いは褪せないが、霞んでいく

個人的に力説したい話をする話。(頭痛が痛い構文)

日々生きていると、嫌なことが発生する。それについて思い悩んで、人に相談する。そうすると、悩み事の内容にもよるが、(抜本的解決が見込めない特に気持ち面の悩みに対して、)相談した相手が「時間が解決してくれる」と助言をくれます。

「時間が解決してくれる」ってそもそもどういうことなんでしょうか? 実はこの言葉っていろんな意味を含んでいます。

時間が経過することで、①悩み自体を忘れる、②悩む必要がないことがわかる、③精神的な成長をして悩みが気にならなくなる、などでしょうか?

私が思うにこれらの解決策のいずれかを頭に浮かべながら、「時間が解決してくる」と言っているのではなく、「今、解決が見込めない」と思っているから言っている人の方が多いと思います。

そこで、今回は本当に時間は問題を解決してくるのかを考えてみましょう。

私の結論を先に書けば、解決しないことが多い。ただ問題を問題として認識しなくなる、と言うことだと思います。

意味が分からないと思うので嚙み砕いていきたいと思います。

そもそも時間が解決してくれる系の悩み、つまり心情についての悩みは、感情や認識の問題です。出来事に対しての何かしらの感情や認識が悩みの種になっている。

失恋ならば、その相手への感情が自分の精神活動の妨げをしている。コンプレックスならば、自分が自分への認識が行動制約をしている。みたいな感じです。

これらの感情や認識とは変わることがありますが、抜本的に変わっているのではなく、そういう感情や認識があるけど、視点を変えてみればそれってこういうことだよね? ってしてみたりその問題自体を見たいようにして見たりすることで変わっているのだと思います。

つまりは時間の変化によって、他の考え方を増やして付随することで、問題を解決している、ように自分が解釈しているのだと思います。

おいおい、話したい話題として「人間は変われない」があるのですが、それと同様で、気持ちは変わらない、捉え方が増えてどの捉え方をメインに据えるかが変わるだけ。

少しわかりにくいですが、たとえ話をします。

目の前に自身から離れていく方向にゆっくり回転しているベルトコンベアがあります。そこに水を入れたグラスを置く。すると、どうなりますか? 当たり前ですが、ベルトコンベアの回転のせいでゆっくりと自分の前から遠ざかっていく。

この水こそが気持ちの在り方だと私は思います。ショックなことがあった。ベルトコンベアにショックという名の水が注がれたグラスが置かれる。時間が経つことで、グラスは遠のいく。グラスの中に水がどれくらい入っているが、遠くて見にくくなる。いつしか見えなくなる。

これが「時間が解決してくれる」の本質だと思います。決して、そのショックな思い(悩み)が消えたわけじゃない。ただ遠のいただけ。その証拠にその悩みを思い出すと、悩みが再燃することがあります。それはこのベルトコンベア理論いうなら、グラスを自分の近くのベルトコンベアに置きなおしてしまった状態。水の量(悩み)は別に変化していない。だから思い出せばまた悩む。

ただここにはもう一つの「時間が解決してくれる」の本質があって、それはグラスに入っているのは水ということです。時間が経てば、水はゆっくりですが蒸発していく。だから、思い出した時に悲しくなるなどの悩むことはあってもそれ以前よりは深く悩まずに済むこともある。逆に悩みについてより深く悩んでしまうと自分でグラスに水を増やすことになる。

このベルトコンベア理論のもう一つ面白いのは、グラスはどうやっても消えない。つまり、ここでいうグラスは出来事であり、そういう出来事があった現実は消えないが、中身である気持ち(水)ゆっくりですが消えていくこともあるし、場合によっては増やしてしまうこともある。

これは出来事とそれに伴う気持ちを具体化する一例であり、こうすることで時間を立たずとも気持ちに整理をつけることができます。

「ベルトコンベアの上のグラスの中に入った水を認識しないようにする」=「問題が気にならなくなる」と解釈すれば、「ベルトコンベアに背を向ける行為」⇒「悩み事を考えないようにする(そういう環境を作る)」ということになりますし、「水以外の液体を加えることで水の量や水だと認識できなくする」⇒「別の視点で考えてみて、そっちを主題に考えてみることにする」みたいな感じなると思います。

実際のところは、別に「ベルトコンベアに乗っている水の入ったグラス」という例えをしたとこで、悩みが解決するわけではないですが、そうすることで自分自身が悩むメカニズムがわかって、気持ちの整理がつきやすくなる思い、この考えを記すことにしました。

また主題は変わってしまうので書きませんが、このように抽象的な問題を具体化して、その具体化した物を解決する手段を作って、その手段を逆に抽象化することで、元の問題を解決する手段を得る。これはとても有効な手だと思います。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。


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