人間って都合がいいよねって言う話
過去投稿 2017/2/22
まあ最近、ちょっと自分の近辺で話題になったので、こんな話でも。
人間って都合がいいから、話を聞くときや話を話すとき、どっちかかもしれないし、どっちもかもしれないけど、1-10を5.6にして話すよねっていうお話。
話の内容って、基本的には全部覚えることが人間には出来ない。
だから必要な部分をかいつまんで覚える。例えば、診療を受けた患者は診療室を出るころには話の6割は忘れてるなんていうし、かのヒトラーも民衆は愚かであるから同じことを何度もいわないといけない的な言葉を残してる。
まあ何が言いたいか?
大事なのはそのかいつまむ部分が大事。実は人はかいつまむ部分を重要な部分ではなく、自分にとって都合のいい所だけっていう話。
ちょっと前の時事ネタだと、罹患者の親に対するインフルエンザウィルスの薬効説明で、副作用で子供が服用時に自殺する場合があるという説明を忘れるてきなものがこれに言える。
患者である子供が治るっていう部分が自分にとって都合がいいから覚えてるけど、副作用の部分は自分とって都合が悪い(子供を見ていなければいけないという意味で都合が悪い)
から忘れてしまう的な。
別に自分にとって都合がいいことって、基本的には重要なことなんだけど、こうやって重要な部分が抜け落ちることがあると思う。
もっと民間的な例にしようか?
例えば、自分の同僚同士(AさんとBさん)が喧嘩したとしよう。仲裁役に自分が選ばれて話を聞くが、AやBの一方しか聞かないと話の全体像が見えないし、聞いた側は悪くないように見て取れる。
でも、二つをかみ合わせてみるとどっちにも非があって、なんで喧嘩が起こったのか継続したのかのヒントが見えてきて、初めて全体像が浮かび上がる。
いわば喧嘩の記憶の内、お互いに都合のいい所のみを記憶してるから話す。また人間とは意識的かそうでないかはわからないが巧妙で、まるでそれがすべてのように話す。
言わばAさんとBさんは1~10の喧嘩をしたのに、Aさんは自分の都合のいい2~3と7しか話さない。そして、それが喧嘩のすべてだと語る。Bさんもまた自分の都合のいい4~6と9しか話さない。同様にそれが喧嘩のすべてだと語る。
それがすべてのように語るのだから、一方のみの意見だと話は見えてこない。でも、まるでそれがすべてかのように仲裁役は感じてしまう。
ではここからが実は話したいこと。ぶっちゃけて、それは仕方がないこと。大事なのは①自分が仲裁に入った場合や②自分が喧嘩した場合にどうその問題を処理するかである。
①の場合はどちらかの意見が偏ってるっていうことを意識しながら聞くこと。また②の場合は仲裁役に自分が悪くない部分を全編のように言い聞かせて自分の非を減らすことが重要なのだ。
まあ人間って独善的で厄介な生物なのだから、人間同士のコミュニケーションは喧嘩に限らず、相手がどこが都合がよく記憶して家に持ち帰るのか、そこを考えて話さなければならないい。
そうやっていちいち気にして生きるのは辛いだろうから、自分の信頼できる人(親友・恋人)にはそういった点に気を使わなくて済む人を選ぶか、諦めるかしないとね。
はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。
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