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サイコパスと私はよく呼ばれる。

2017/3/25 過去投稿

精神的に元気になってきてしまったので、哲学ために自己肯定と自己否定をしておこうっていう話。

サイコパスの定義はまあ微妙なので、今回は深くは触れずに簡素に「普通とは違う行いができる性質」をもつ人々としようかなって思いまっせ。ちなみにいい意味でも悪い意味でも取れる表現にしたのは聖人にもサイコパス性はあると私自身がそう思うからです。

では展開させていましょう。

私が人をサイコパスと形容するような人、「人の気持ちがわからない人」を指したいときに使っています。

私自身は「人の気持ちがわからない人」とよく言われますが、それは後で言及するとして、人間は簡単に相手の気持ちを理解することができます。つまり理解できることを私は「普通」と考えている訳で、それを出来ないから私は「サイコパス」とそういう人物を形容します。

さらっと「簡単に相手の気持ちが理解できる」書きましたが、簡単に方法論を唱えます。

酷く簡単に言います、「相手の立場になればいい」それだけです。よく言われることですが、これにつきます。みんな、これへの批判として、「自分の思想や意見ありきの問題なので、相手の立場になったって相手の感情や思想は見えない」って言います。私からすればその時点で、相手の立場になれてないですね(笑)

相手の状況だけでなくバックボーンや性格、その他を自分に置き換えてこそ、「相手の立場になる」ということなんです。ただその人物と同じような失恋をしたからってその気持ちを理解はできない。相手のこれまでの恋愛……いや恋愛以外の歴史を自分の物と考えれば考えるほどに相手の気持ちを理解する精度が上がっていく。

皆さん、あなたは本当に相手の立場になって考えていますかー?

では自分の話をします。ここから先は読まないでOKです。元々自己満ブログですが、ここからさきは自己満度が異常で、自己啓発にもほど遠いです。

私は「相手の気持ちを理解する」というのはあくまで前提です。つまり、相手の気持ちを理解したら、次のステップが待っている。単純に二択にすれば、それに仰ぐかそれに背くか……。

私は相手の気持ちを理解したうえで、それを踏みにじることが自身の実益に繋がるときは、功利的に考えればそうするべきだし、それに従うことで実益が出るときはそうするだけ。

ただほとんどの人は自信のエゴを尊重したがるため、相手の気持ちを理解したとて、ほとんどが自身に得を促し、他には損をもたらすものがほとんどです。だから、私はよく相手の気持ちを理解した状態で、それを踏みにじる動きをする。

ハッキリ言いましょう。経過論で考えれば、「相手を理解している」わけだから正当性はありますが、結果論としては相手の気持ちを理解できてないようにしか見えません。

だから私はサイコパスなのです。別に、この事実に目を背けるつもりはありません。ただ最近思うのは某人物が相手の考えを踏みにじる行動をした際に「相手を理解したうえで行動しているか否か」考えない現代人には疑問を感じます。

相手の行動をサイコパスだと感じた時は一度、その人間が相手の立場になっているか考えてみるのはいかがですか?

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:東本願寺

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