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我々は期待をし過ぎている

不祥事を起こした有名人に思うことがある話。

テレビをつける、ニュースが流れる、そこにはコメンテーターをする著名人の姿がうつる。随分と快刀乱麻に意見を堂々と述べる。そのコメントは多くの人の胸を空かせる。
ただ不祥事を受けて、コメンテーターをやっていた著名人はテレビから姿を消す。そして、胸を空かせていた視聴者は平気な顔をして「あんなに偉そうに言ってたのにしょーもない人ね」と一蹴する。
それの繰り返しを何度も目にした。

私たちは何かを勘違いしている、コメンテーターってなんなのかを。

著名人と言われる彼らは一体どんな人なのだ? 俳優・アーティスト・落語家・お笑い芸人、彼らは誰を取っても専門家じゃない。昨今の情勢にコメントする人々のほとんどが医療関係者じゃない。ただ素人と違わない知識量の影響力を持った人。

我々は何かの技能に優れて有名になった人をどこかのタイミングから、すべてにおいて万能な人と勘違いしがちだ。どんなことにも正しくすっきりとした意見を述べてくれると期待している。

もう言おう、彼らはある分野では専門科かもしれないが、基本的には素人だ。そんな人物が何を言おうと、本来ならただ戯言だ。それをマスコミはデカデカと世の中に発信している。

きっとこう思う人も多いのではなかろうか? 普段のこの人のコメントって気持ちよく聞けるけど、自分の専門知識が多いとこにコメントをするときだけは納得できない。

それはその通りだ。だって、素人があなたのプロの分野に間違った知識や解釈でデカデカとコメントをしているのだから。私は一概にマスコミが酷いとは思わないが、この情勢には歯止めをかけるべきだと思っている。ただの一素人がちょっと有名になって、ちょっと発言力を持っただけで、文化人扱いを受けてあらゆることにコメントを寄せる。

いや、俗に言う「素人枠」としての意見だったり、本業が批評家みたいな人は良いと思う。でも多くは踏み込みすぎている。

敢えて名前を出すならば、私はみのもんたさんや宮根誠司さん、坂上忍さんが苦手だ。強い口調で強い言葉で情報を発信する。それが正しい情報や正しい心情かは隅に追いやられ、ただノリだけで世の中に駄々洩れる。

色んな記事でも書いているが、一般に人間は自分にとってどうでもいいことには寛容で、そのまま受け入れる傾向がある。そんな正しいかどうかわからないものをただ勢いだけ伝えてしまう彼らが私は苦手だ。

そして、もっと苦手なのはそれが間違っていた時に間違ったことを発信した彼らが悪いという視聴者たちだ。気持ちはわかる、だが、彼らはただの素人なのだ。それについてあーだこーだ言うのは違う。もちろん、彼らが自分の影響力を考えずに言葉を口にした罪はあるだろうが、それを容認して野放しいている番組にも責任はあるし、何よりそれを無思考で受け入れていた我々にも責任があるのは明白だ。

何が言いたいかをまとめれば、我々は期待しすぎている、ということだ。別に営業が得意でも事務仕事は苦手かもしれない。絵がうまくても音楽的なセンスはないかもしれない。他分野ならまだしも同じ分野でもその人間には特異性がある。その事象への向き不向きは、既に存在する事象にそっくりでもない限りはもう一度施行させてみないと正確な判断には至れない。

期待し過ぎた結果、損するのは私たちだ。無駄にイライラしたりミスを尻拭いしたり、「はじめから期待するな」とまでは言わない。だが、どんなに他のことがそつなくこなせる人だろうとも、寄せていい期待は凡人と同程度なのだ。

我々はピグマリオンにもゴーレムにもなってはならない。それが私の考えである。

そういう気分だったので、ちょっと固めに文章書いてみた笑

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:小江戸スターバックス

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