見出し画像

異世界の人と交信する術?(SFではないです)

過去投稿:2017/12/18

世界の見え方が異なる他人と話すのって難しいよねって話。

お久しぶりです。最近は忙しくて、更新をサボっていた者です。ちなみに趣味の小説に書くことが忙しかった感じです。

では本題に。いつも通りタイトルは仰々しいですが、内容は「リア充」と「非リア充」、そして「そこの間における共感」についてですについてです。友人が持ってきたテーマなので、それについて言及していこう。

では経緯を話そう。友人の友人同士の会話で、このようなものがあったらしい

彼氏のいない女性「最近の非リア充可哀想っていう風潮、嫌い。別に非リア充でも現実は充足してるし、そこに優劣を勝手につけて、哀れに見られたり要努力とみなされたりするのは気に食わない」

→彼女のいる男性「めっちゃ『同感』する。リア充だって、別に楽しくない人もいるし、そういうテーマの会話を押し付けられると大変」

→彼氏のいない女性「やっぱりだよねー。どうにもならないことだからお互いに我慢しよう!」

私の観点だけでは正直、不思議な点はない。ただその友人は多角的に見るのが好きで特異な人間であるため、次のような解釈をしたらしい。今回のテーマは次のような解釈から思考が開始される。

※いつも通りこれは1解釈です。批判ではなく、考え方なので暖かな目で見てください。

まず定義づけ。「リア充」または「非リア充」とは文字通り、「リアルが充実している人々」だったり「リアルが充実していない人」として使われているわけでは無い。実際のところ、女性が「非リア充でも充実している」と言ったり、男性が「リア充だけどつまらない」のようなコメントをしたりしている。

ではここでの、いや昨今での「リア充」と「非リア充」という言葉は何をするのか? 簡単である「恋人がいる人」を「リア充」と呼ぶのだ。逆に「恋人がいない人」を「非リア充」と呼ぶのだ。では、ここからは「リア充」や「非リア充」という言葉を使うのは止めて話そう。

では話を進めていこう。はっきり言うと私も「恋人がいない→不幸せ」や「恋人がいる→幸せ」は間違っていると思う。ここで、明瞭化されるのがこの会話の『同感』が危ぶまれる点である。

女性は「恋人がいない→不幸せ」が気に食わない。と言っているのに対して、男性は「恋人がいる→幸せ」が気に食わない。としている。

少し脱線するが、数学の命題における逆と否定と対偶はご存じだろうか? 命題とその対偶は常に真偽が同じであるのに対して、逆と否定は真偽が同じだが逆と命題の真偽は同じではない。つまりには「恋人がいない→不幸せ」や「恋人がいる→幸せ」は対偶の関係にはない。否定の関係にある。何が言いたいか、言わば「恋人がいない→不幸せ」と「恋人がいる→幸せ」は同義ではなく結論が異なる場合もありうる。

小難しくなったので、整理すれば「恋人がいない→不幸せ」と「恋人がいる→幸せ」は似たテーマではあるが、対偶ではない以上一緒に検討してはいないのだ。もしかしたら構造上違うテーマかも知れないから。つまり全く違うかもしれないテーマに同感という言葉を使い関係を見出すのは誤っていると友人は考えたらしい。

もっとフィーリング的に、簡素にまとめよう。「恋人がいない人間の苦労」と「恋人がいる人間の苦労」は違うものなのだ。だから、違うテーマについて話しているのに共感するのはおかしい。ということだ。

読者の方々には「考えすぎwww」と思う人も多いと思うが、そこを掘り下げるのが我ら希哲学者なので容赦して頂きたい。

ただ実は私もその読者と同じ「考えすぎwww」で片付けてしまう一人になりかけていた。この話を広げると、人間は実は類似のテーマで実際は異なるテーマを同一と見なして勝手に解釈しているのではないだろうか? 例えば、悩みを持つ友人に対して「私も同じ悩みがあったことがある」と言ったり、そう言ってきた友人に「えっ、そうなの? だったら、助けてくれるかも」と思ったりなどはその典型ではないだろうか?

では話を戻そう。今回のテーマ名である異世界の話をしよう。私はかねてから思っている経験や現状のステータスの有無は個人の世界観に差異を生む。今回の話においては、「恋人がいることがある・ない」という経験と「今恋人がいる・いない」というステータス、そういう点が世界観の違いを生む今例でも後者の違いがあるし、前者の違いもあるかもしれない。どちらにせよ、世界観が違うのは間違いない。

それこそ、今シーズンであるクリスマスに「負の感情」を持つとするなら、恋人がいない人からすれば「恋人がいなくて寂しいと思われたくない」と思うかもしれない、恋人がいる人からすれば「なんでクリスマスだからと言って交際相手に特別な面倒ごとをしないといけないんだ」と思うかもしれない。では、恋人がいない人は「なんでクリスマスだからと言って交際相手に特別な面倒ごとをしないといけないんだ」と思うか? おそらくいないのだから思いもしないだろう。もちろん、その逆も然り、重要なのは視野の違い「世界観の違い」なのである。

ここで言いたい。先ほどの「恋人がいない→不幸せ」と「恋人がいる→幸せ」が同義に見えてしまう、それこそがその世界観の違いから生まれたすれ違いなのだ。

私は思うのは気をつけている人間でさえも知らず知らずのうちに、人に自分の世界観を当てはめ同類にしたがるが、実際は大きく違うこともある。ということだ。ちょっと周りを一度、見まわしてみるのもいいのではないか?

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?