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魅力的な肩書と目的に必要な肩書

いつも一流であることが必要ではない話。

夏ですね! 夏と言えば、なんでしょうか? 私みたいな暗い青春時代を過ごした民からすると、正直野外レジャーとかは浮かばなくて、真っ先に浮かぶのは「受験勉強」ですね笑 ということで、今回は受験勉強、そしてその根源の話をしていきたいと思います。

先日、youtubeで「現役東大生が教える」とか「医学生の勉強方法」とかそんな動画を目にしました。普通にすごいなと思います。自身の得意分野を生かして、金欲だったり自己承認欲求を満たしたりはとてもとても合理的だと考えます。新たな分野を開拓するのではなく、自分の分野を生かす。良いですね。

ただ思うのはこの動画の視聴者層はどうなるのだろうか、という話です。動画にて勉強法や講義内容を教えてくれるのですが、①投稿者が教育者としてレベルが高いか(つまり教えるのがうまいか)? ②視聴者が動画内容について行けているか? という2つのとこに疑問が浮かびます。

まずは①投稿者が教育者としてレベルが高いか? ですが、これは結構レベルが高いと思います。勉強できる人はその事象について理解が深い人が多く、そのおかげで教えるのもうまい人が多いです。私の高校時代とかも勉強できる人はほとんど教えるのがとてもうまかった印象があります。調べたことないですが、きっと勉強できる人は教えるのがうまい傾向があるみたいなデータもありそうですね。

まあ勉強も教えるのも出来る人が多いだけであって、例外はあるので勉強が出来ても教えるのが下手な人もいるとは思います。高学歴が一概に全員がうまいとはいいませんが、Youtubeについて言えば下手な奴は高学歴でも再生数が伸び悩むと思うので、再生数が高いもので学習すればいい話ですね。

そして、次がこの記事の要旨になります。②視聴者が動画内容について行けているか? ですね。動画内容が高度であると、動画の方が視聴者を選びます。わかりやすく言えば、掛け算と割り算も習っていない人に速度の問題を解説するようなもので、勉強を学ぶということはまずは視聴する前に、求められるレベルが存在するということです。

まあここに動画投稿者のカルマがあって、解説が上手い人は前提として求められているレベルや知識を持っていない人にも、内容を理解したと勘違いさせるほどの話術があることがある。結果的に動画を見終わっても、動画内で登場した単語は覚えていても、内容がわかっていないことが多いにある。それは、根本的レベル不足や前知識の不足から来るものです。

超ざっくりいうなら、素人は三流に、三流は二流に、二流は一流に学ぶ必要がある、と思うのです。すっごく具体的に極端な例を出しますね。

東大生で中学・高校では鉄緑会に通ってた、そんな人に勉強方法を高校生が学んで意味あるの? 京大生で灘中学・高校に通ってた、そんな人に勉強方法を高校生が学んで意味あるの?

ってことです。いや、中学生・小学生が学べばまだ間に合うかもしれないですが、そういう動画を見だす一般的な年齢層から考えれば、時すでに遅しパターンのほうが多いと思うんです。いやそりゃ、「偏差値40の高校だったけど、高校三年生から勉強して1浪して東大に入学した人の勉強法」だったらかなり色んな人に役に立つような気もしますし、そう思う人も多いと思います。

この違いはずばりスタートラインの違いだと思うんです。やっぱり良い大学に行く人は、スタートラインに立つことも早いし、良い道を選んでスタートを切っていることが多い。大多数の凡人たる我々がそれを表面的に学び、表面的に利用しては、ある程度は効果があっても限界がある。

いわば、偏差値55の高校から東大に行くなら、「開成から東大に行った話」よりも「偏差値54の高校から東大に行った話」の方が参考になる。

極稀にいます、レベルを超えて学べる人が。時たまいます、踏むべきステップを飛ばして前に行く人も。しかし、ほとんどの人は、優秀だと言われるあの人だって踏み始めが速かっただけで、レベル上げは1ずつするしステップを1つずつ踏んでいます。

だから、素人は三流に、三流は二流に、二流は一流に学ぶ必要があるんです。

ただここで重要なのは「学ぶ」場合です。「触れる」場合は一流の方が良いと思います。だって、ちょっと美味しい物よりもむっちゃ美味い物のほうが食べたいじゃないですか! 全然へたっぴで成立していないスポーツよりもプロスポーツの方が興奮するじゃないですか!

触れるのは一流の方が良い。ただ学ぶならば自分の次のステップを教えてくれる存在がいい。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:並ぶ提灯

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