型破りとルール破りは違う
最近の人が案外勘違いしてそうなこととして、型破りとルール破りがあると思うので、それをつらつらと書いていきたい。
最近は成功者が滞留していると私は思う。人生で成功したと言われる人はその席を譲ることなく、居座り続けることで成功のメソッドすごいスピードで廃れていく。その成功の席に座れる人には人数制限があるから。
でも、そんな人数制限をもろともしない成功者が世の中にはいくらかいる。彼らは「型破り」ともいえる方法で従来の方法や常識にとらわれずに成功していき、新たな成功モデルを形成していく。今、自身を大成功させる方法はもはや「型破り」しかないんじゃないかというレベルで、彼らは普通の人が踏みしめてゆっくり歩く道を猛スピードで駆け抜けていく。
ただ最近はその型破りを履き違え、成功を収めようとする人が多くなったと思う。そこで起きるのが「ルール破り」だ。わかりやすく言えば、この世の社会的ルールで憲法・法律・条例などを無視する行為や個人間での契約や約束を踏みにじり、時に倫理観に抵触することをやってのけて、注目を浴びそれを成功だと感じている人々。
確かに「型破り」とは従来の方法や常識にとらわれていない。が、「ルール破り」のようなことはしていない。
「型破り」の人も他人から批判を受けるし誹謗中傷の的になることもあるだろう。しかし、決定的に違うのはルールは破っていない。
「ルール破り」は自らを「型破り」だと思っているがゆえに、自身に寄せられる正当な批判も自身の成功を羨む誹謗中傷だと思い、盲目的に自身の道を進んでいく。
子供のころ、ルールを守りながらズルとも言いたくなるような知恵を働かして遊びに勝利する友人はいなかっただろうか? 彼らは型破りだったかもしれないが、ルールは破っていなかった。時に先生に注意されたって、ルールは破っていないことを冷静に説いて納得させる理知的な級友はいたような気がする。
逆にすでにあるルールを破って勝利を得たと思い込んで、1人興奮する愚か者はいなかっただろうか?
ただ実際のところ、型破りとルール破りの違いは曖昧だったりする。理由は多くの場合でルールを知らないからこそ起きることが多いからだ。ルールを知らないからルールからミスリードされる成功にとらわれずに成功する、これは「型破り」だ。ルールを知らないからルールを破るようなことをする、これは文字通り「ルール破り」だ。
だから、我々は行動するときに行動したいと思ったことがルールに抵触していないかを一度思考するべきである。法律などであれば専門家である弁護士などに相談すると良いだろう、仲間や協力者との情報共有をすれば約束や契約を破らずに済むだろう、第三者の意見を取り入れれば倫理的配慮もすることが可能だ。
思考をして、必要とあれば、違う観測者を交える。
革新的なことは素晴らしい。だが、そこには規律がなくてはならない。型は破ってもルールは破らず。
誰にでも歓迎されるカタチで成功したいものだ。
写真:滝の流れに逆らって
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