見出し画像

帳尻を合わせるように幸せになっていく

「ごめんね、私はいけないや」
彼女はそういうとただ涙を流していた。

俺は彼女に手を伸ばそうとするが、そこで目が覚めてしまう。
俺は手を伸ばすと同時に上体を起こしてしまっている。突然、起き上がったものだから隣で寝る女も目を擦りながら問いかけてくる。
「どうしたの?」
俺は女の頭を軽くなでて言う。
「ちょっと夢を見ただけだよ。気分転換に少し外に出るから寝てて」
女はコクリと小さく頷くと、少し開いていた目を閉じた。

ベッドから起き上がり、スウェットの上下を身に着けてダウンジャケットを着る。わずかにカーテンの隙間から光が漏れている。光は月の光ではなく、こんな時間でも道を照らす街灯のモノだ。
靴下も身に着けて、スニーカーに履いて外に出る。玄関のデジタル時計はAM2時を示していた。ドアを開けた外はシンシンと雪がちらついていた。

なんとなく歩を進める。別に行きたい場所はない。歩く理由はあの日を忘れたいだけなのだから。近くのコンビニまで歩いて、外に置かれた灰皿でタバコを吸う。煙を吐いても息を吐いても、白いモヤが冬の空を漂った。


今日とは真逆な日だった。夏の日だった。うだるような暑さだった。真昼間だった。尋常じゃないほどに晴れていた。
1週間にたった1本しかない地方都市へのバス。そこから5時間ほど電車に揺られて着く先は東京だった。

あの日、僕は家族の反対を無視してバス停で彼女を待っていた。僕も彼女ももうこんな田舎にはこりごりしていた。何をしてもすぐに広まる噂、外に出たこともないのにうちの街が一番という大人たち、何もないのにそれを何も考えずに良しとする同級生たちが嫌だった。
高校在学中にこっそり立てた上京計画。そこにはいつも彼女が居た。彼女と一緒に東京に思いを馳せるのが僕たちにとっての唯一の救いだった。そして、やってきた決行日。この日のために2人でバレない様に準備をした。
東京への交通費と当面の間生活できるほどの生活費を稼いだ。衣服などを最低限ボストンバッグに詰めた。何度も何度も東京までの道のりやその後も想定した。

計画よりも少し早くついた、街の端っこにあるバス停。バス停からは海が見える。この海を見るのも最後かもしれない。ただ広くてただ青い海が僕は嫌いだった。入ると塩がまとわりつく海が嫌いだった。洗濯物も外に干せないし、自転車も外に置いておくと錆びるようにするそんな海が嫌いだった。
ただその海とおさらばだったせいか、ちょっと感慨に浸りながらバス停におかれた錆び切ったベンチで彼女をじっと待つ。

少したって彼女がやってくるのが見えた。僕は立ち上がって彼女に手を振りながら「おーい」と声をかけた。元気のよかった僕だったが、彼女の歩いている姿をみてその元気はすぐになくなった。
彼女は手ぶらのままこちらにむかって歩いていた。計画では彼女も生活に必要なものを最低限バッグに詰めて集合する予定だった。でも、彼女はなにも持っておらず、白いワンピース姿で何ももっていなかった。

「バッグはどうしたの? なんで?」
彼女に問いただす。彼女はうつむきながら口をゆっくりと開いた。数日前に準備を妹に見られてしまった結果、親に報告されてしまったこと。すべての準備したものを奪われて手元にもう何もないこと。1人で行くつもりだったと嘘をついたため僕のことはバレていないこと。今日もほぼ監禁されていたが抜け出してきたこと。そして、一緒に東京に行けないこと。

僕は彼女がつらつらとそれを語るのに対して、感情に任せてあれこれ言ったが彼女はそれを無視して冷静に全部を話した。
もう彼女は衰弱しきって、そしてもう全てを受け入れているようだった。
僕の心の整理がつかないうちに、遠くにバスが見えてしまった。まるで誰かが何かを図ったようであった。今思えば、もう僕には彼女を説得するほどの時間ないようだった。

「少し生活は厳しくなるかもしれないけど、2人で東京に行くくらいの金はある! だから、一緒に行こうよ。服とか全部向こうで買えばいいよ。東京は何でもあるんだ、きっとどうにでもなる!」
そんな風に破れかぶれの説得をした。うつむいた彼女の口元はちょっとだけ笑ったようだったが、すぐに首を横に振った。

バスがやってきてしまった。僕はバスに乗った。そして、彼女に向かって手を伸ばした。
彼女は僕のその手を両手で優しく握ると、そっと下に戻した。そして、今日初めて僕の目を見て言った。
「お見送りは泣かないって決めたのに、無理そうみたい」

「ごめんね、私はいけないや」
彼女はそういうとただ涙を流していた。

彼女の涙に啞然としてしまい、その間にバスの扉は閉まってしまった。バスは無情に嫌いなあの町と大好きな彼女から遠くへ僕を連れていく。
小さくなっていく景色を見て、僕もただただ泣いていた。


あの時、俺はどうするべきだったのだろうかと思う。一緒にあの町に残るべきだったのか。それとも……あの手を無理にでも引っ張って東京に連れていくべきだったのか。多分、俺はずっと東京に連れてくるべきだったと後悔しているんだと思う。だから、もう一度手を伸ばしたところで目が覚める。

あれからもう7年はたった。結局、1年半ほど追加で金を溜めて大学費を稼いだ。勉強も頑張って親と町のせいで断念していた大学進学をした。大学生活は普通に楽しんだ。勉強にもアルバイトにもそれ以外にも充実した日々だった。全部計画通りだった、君がいないこと以外は。

でも俺は意外にも薄情だったようだ。大学の途中で君を忘れて他の女の子と付き合ったこともあった。2人で長生きするために吸わないと約束していたタバコにも手を出した。

君を裏切った今の俺が不幸かどうかで言えば、そんなことはない。行きたかった大学にも行けたし、町には絶対にいないような友人にもたくさん恵まれた。仕事も順調だし、可愛い女とも付き合えている。

ただ何度も君を思う
「ここに君が居れば」
そんな風に

わかってるつもりだ。一緒に来ていたって、君とは別れていたかもしれないし、君といたことで計画通りにいかない可能性も十二分にあったろう。君がいなかったことで得られた幸せだってあるだろう。

ただ。


嫌いだったあの町と大好きだった彼女を思い出す。そして、今になって思うことがある。
ただ広くてただ青い海が僕は嫌いだった。入ると塩がまとわりつく海が嫌いだった。洗濯物も外に干せないし、自転車も外に置いておくと錆びるようにするそんな海が嫌いだった。
そんな海は俺が東京にやってきてから見たどんな風景よりも澄んでいて輝いていて、「綺麗」だった。僕の記憶の中の彼女のように。

写真:ありきたりな小説にありきたな海の風景

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?