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人は皆カニでカメレオンなんだ、そこから真の人間になる意味。
2017/3/25 過去投稿
人間ってもともと思想の構造上、矛盾を抱えてる生物だよね? って話。
では初めにある劇の一つの台詞を出したいと思います。(正確ではありません)
小林賢太郎プロデュース 「ノケモノノケモノ」より
『俺はみんなとは違うと思われたいカニで、みんなと同じじゃなきゃ不安なカメレオン』
この言葉について私の意見と劇中の解説を交えて、解説します。(いい舞台でDVD化もされているのでぜひ見てください)
カニは群れの中で両腕のハサミを大きく開いて、自分は他とは違うんだぞと誇示しています。ただ、群れの皆がそうしていることも知らずに。
カメレオンは周りの特色に染まり、自分が周りの他と同じものであるようにして自分を浮かないようにする。ただ、自分自身の色が薄れていることを知らずに。
人は皆、両方の側面を強く持っている。場面場面でどちらが強く出るかはわからない。しかし、どちらの性質も強く持っているのは間違いない。そして、相反するこの矛盾を抱える生物が人ということ。皆、自分の頭に手を当てて思い出してほしい。
会社や学校で自分は他の人とは違うと思って、上司や先生に自分の成績や才能を売ろうしたことはありませんか? それをみんなもやってると知りながら……。
友人や仲間が同じ方向を示す意見を唱えている中、自分の意見をそれに合わせるように変えたことはありませんか? 自分の本当の意見を失うとわかっていながら……。
きっと皆さんも記憶の中にそれがあると思います。でも、それこそが人なんです。
ただ私が言いたいのはここで止まるのはもったいないと思うことです。私たちはカニであり、カメレオンである。それを認めたうえで、私たちはどうするべきなのか?
別にいつもとは言いません。カニではなくなり、カメレオンでなくなるのはどうでしょうか?
みんながみんな自己を顕示して、カニのように自分が優れていると誇示している時に、カニをやめてみてください。そうすると、フッと胸が軽くなって成績や才能を削り合う世界から一瞬抜け出して、カニの群れのような人間の群れを見えます。
みんながみんな自分の意見を隠して、カメレオンのように自己を薄くしているときに、カメレオンをやめてみてください。そうすると、バッと自分の頭が閃いて体裁や固定概念から解き放たれ、カメレオンのような人間が見えます。
比喩ではなくはっきり言えば、カニをやめればストレスで自己を削ることから逃げられて、カメレオンをやめれば自分の意見をしっかり持てる、ということです。きっと、皆がカニやカメレオンになっているときに、それを水族館や動物園の生物を見るように達観できるようになった時、「普通の人」から「余裕がある」または「意見のある」ステップアップで来た「人間」になるのではって考えています。
でも、いつも達観する必要ない。カニのように我武者羅に頑張った方が見栄えはいい時もある。カメレオンのように周りに溶け込んだ方が周りにつるし上げられることがない時もある。
大事なのは前も少しだけ話したこと。自分にはカニやカメレオンを一時的にやめるという選択権があることを認識すること。そうすれば、余裕や意見を持てる選択肢が得られる。
生きる上で、選択肢は多い方がいい。あなたの人生を選択に満ちたものにすることを祈って。ただ選択肢が出来れば多かれ少なかれ人は「悩む」ことになります……。
最後にちょっとだけ「悩む」ということについて。ホントにちょっとだけ
私はあえてはっきり言います。悩むことは事態は社会的にはいい印象ではないかもしれません。しかし、悩むとは私の中ではめちゃくちゃいいことです。「悩む」という言葉からマイナスイメージを取り払うとどういう言葉になるか
それはフラットな言葉で「考える」という言葉になります。
「考える」ことは絶対無駄になりません。私個人は人は悩まなすぎ、考えなさすぎと思います。思考停止に陥らず、悩むことを恐れないでください。
ほんとは悩むについても議論ができますが、今日はここまで!
はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。
写真:マレーバク
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