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良くないものに手を出すエクスタシーについて

危険なモノに手を出す人間の性って理解できるようで理解できないよねって話。

時事ネタ、っていうわけではないので、最近2021年4月21日現在で有名なラッパーが「大麻」で捕まった記事を読んだので、それに触発されて今回はアルコール・タバコ・大麻・違法ドラッグについての私の考え方を哲学を関連させながら語りたいと思い〼

初めに、この世には身体・社会に良くないとされながらも、生活に必要ない嗜好品として様々なモノが流通しています。それが先ほど挙げたアルコール・タバコ・大麻・違法ドラッグなどです。

初めに私の考えを述べると、アルコールはまあ自由にどうぞ。タバコは自由にどうぞだけど指定されている場所以外での喫煙やポイ捨てをする奴は吸う権利ない。大麻はタバコと原則は同じだけど日本ではやめとけ。違法ドラッグはマジでヤバイ奴ばっかなのでホンマやめときーって感じですね。

ではそれぞれについて。

アルコールは自分で飲むものであり、いくらアルコールが体に悪いとは言えど、自己責任の範疇かなと思います。自己範疇っていう概念は重要となるのであとでまとめ〼

タバコは原則は自分で吸う物だからいいのだけど、副流煙が許せないのが私の意見です。副流煙(燃えている側から出る煙)は非喫煙者に対しても化学的被害を与える。もっと言えば主流煙(吸ってる煙)も吐かないで欲しいっていうのが本音です。ただエチケットとして、喫煙所や風通しがよく周りに誰もいない屋外で吸っている分には良いと私は勝手に妥協しています。ただ路上喫煙や歩きタバコ、ポイ捨てしてる人は脳内ラリアットをかましています。「嗜好品はどこまで言っても嗜好品、他に不快な思い・健康被害を与えてはいけない。」←これが私の発想の1番重要なとこです。

次に大麻ですが、これは非常に面白い嗜好品ですよね。先進国でも許可されている国や地域と禁止されている場所がある。昔、「現在、大麻が良しとされている国や地域は禁止にしたかったが、流布しすぎて規制しようがなかったのでなくなく認可した」と言う話を聞いたことありますが、本当のとこはどうなのでしょうか?

さて大麻ですが、摂取方法はタバコの同様な部分があるので、やっぱり「嗜好品はどこまで言っても嗜好品、他に不快な思い・健康被害を与えてはいけない。」につきます。但し、ここで重要なのは社会的ルールです。その社会的にダメとされていてそれを知っているのに、やるのは愚かなことです。なんなら許可されている国や地域があるのに、そこに住んで合法的に行えばいい話ではないか? と私は思います。どこまで言っても嗜好品は嗜好品、それがないと生活が出来なく法に抵触しないと生きていけないというならそれは嗜好品ではないのだから、自身の環境を変えるべきだと私は思います。

次に違法ドラッグ、医療用ではないモルヒネやコカイン、MDMAなどですかね。これらを使う人々は正直理解を全くできないですね。世界的にもクロとされていて、依存性が高く自分でやめることが難しく、治療が必要となってきます。これは法でどうこうできるとかではなく、「自己範疇」を超えている。生活に支障が出てしまえば、一緒に住む人や働いてる会社、また病院などの医療機関にお世話になる。また薬剤で症状が出ている時に犯罪を傷害を犯したらそれも人に迷惑をかける「自己範疇」を超えた行為です。

はてさて、実はここまでは導入で、重要なのは「自己範疇」ですね。

「自己範疇」とはどこまでなんでしょうか? 自分が養っている家族や自分を養ってくれている家族、時間を共に過ごす友人、所属するグループや会社、どこを自己として切り取れるのでしょうか?

じゃあ、自分の「肉体」が自己範疇だとして、そこを逸脱しなければ良いのでしょうか? じゃあ、「肉体」って自分のモノなんでしょうか? これは「”肉体”も神から与えられたモノ、神様のモノだ」と主張したいわけではなく(そもそも与えられた理論だと、もう所有権が移ってるだろと思うし)、「肉体」の所有権とはメインは自身が持っているだけで実際は複数人で保有しているのではないでしょうか?

よくタバコを吸っている人は「タバコを吸うのは自分の勝手で、早死にしてもいいと思う。一度しかない人生だしより楽しく行きたい」のような発言を私は聴きます。単純に早死にしたく吸ってるとか、タバコを吸うことに意味を見出している(タバコを吸っている自分が好きみたいこと)なら、まあわかりますが、タバコを人生を豊かにするツールだと思っているのは何か違う気がします。

そもそもこういう発想は人生の充足度が一定で、それを細く長くするか太く短くするかみたいな発想が混じっている気がします。だったら、普通にタバコ以外の楽しみまたはタバコ以外のストレス発散方法を見つけて、タバコを吸わなくて長生きした分に他の楽しみで埋めればいい。「楽しくそして長い人生を送ればいいじゃないか」と私は思います。

確かにタバコと言う手段が一時的にストレスを発散させる良い手段なのかもしれないですが、人間は元来は煙を好まない生物なので、タバコになれる訓練期間があった上で、更には「タバコを吸えない」というストレス源を増やすことになるのは非常に効率が悪いのではないかと思います。

日本での大麻使用やドラッグの使用に関しては、ここに法的制裁も加わってくることになります。実際には法的制裁ののちに社会的制裁を家族や友人と一緒に受けることになるんですが。いわば、マジで理解ができないなと思います。

またもしも配偶者や子供がいた場合はどうなるでしょうか? タバコで早死にしたらその分の彼らに注げたであろう愛や経済的支援は? もしも彼らの前でタバコを吸ってて家族の寿命を縮めていたら? 自己範疇とは? 自分の身体とは?

そろそろ結びに入りたいと思います。

嗜好品についての話はもう結論を出したので、「自己範疇」というものについてですが、私は「自己範疇」という言葉は非常に難しいと思います。簡単に定義できるのに、違うルールに持ち込めない。どういうことかで言えば、生物学的に「自分の身体」を「自己範疇」と定義しても、社会的には「自身の身体」は「会社の一部」や「家族の一部」であり、全体から自身から分けることは出来ない。

どんなに孤独になろうとしても人は独りにはなれない。そのうえで、自己範疇とは何か考えて、嗜好品を使用することを再思考してみるのはどうですか?

私の文章は散文だなと思う今日この頃です。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:やばいほど険しい山岳地帯に暮らしてそうな山羊

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