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人間不信から立ち直るためにはどうすればいいのだろうか?

人間不信な人間がどうやってそれを拭うことが出来るのかを考えたい話

まずは人間不信ってそもそもなんなのでしょうか? 漠然としててよくわからなくないですか? 私自身の経験上は、人間不信の正体を解明するだけで人間不信が払拭できる場合もあると思います。

人間不信とは? 単純に特定の誰か(ホモサピエンス)を信用できないという意味しかない言葉です。まあ特定の誰かと書きましたが、全般的に信じれない人もいるやんけ! ってツッコミが来ると思うのですが、それもあとで言及したいと思います。

そもそも幼馴染・高校の同級生・大学の同じサークル仲間・会社の同期・家族、どんな人間不信な人でもきっと信頼している人はいるはずです。ですから、完全なる人間不信の人って少ないとは思うんですよね。なので、人が人間不信を感じるタイミングとは、周りは信じている人を信じれられない・周りが信頼を置けるタイミングや経験を積んでも信じられないということではないでしょうか?

でも、それって異常なことなんでしょうか? 初めましての人に信頼は置けないですし、初めましての人に信頼を置くためには相手の経験や能力の再現性が必要になる。何も考えずに信じるよりはいいと思います。
だから、そんな極論(初対面)ではなく、周りよりも信頼を置けるようになるのが遅い場合を考えます。でも、それってただ用心深い特性を持っているだけであって、そうじゃないでしょって思うんですよ。

そもそもの話をすれば、人には趣味や趣向があって、興味がある事には盲目になりがちで突っ込んでしまう。逆にそこまで関心がないことはちょっと引き気味に対応する。まあその逆の人もいるかもしれないですが、どちらにせよ全てことに平等に信頼を感じにくい人も、逆に全てのことをすぐに信じてしまう人はいないと思います。

また私は基本の人間のフォーマットは「信じる」と思います。世の中の大半が自分にとってどうでもいい情報であり、それをわざわざ疑って真偽の判断をするより、鵜呑みにして「情報元は○○です」って言った方が脳のロスが少なくて済む。だから、基本は人間は信じる性があると思う。だから、人間不信の人でも鵜呑みしていることは必ずある。

だから、人間不信の人はなぜ信じれないのかを考える必要がある。仕事仲間なら、なぜ信頼を置けないのか? そうすると案外ちゃんとした理由が出てくるものです。前の仕事を失敗したから。初対面ですれ違ったから。ビッグマウスだって噂を聞いたから。そうやって理由が出てきて、だから信じれないんだってことがわかる。理由が自分にある場合もあります。仕事に対しては慎重になりたい性格で職場の雰囲気を合わないから信じれない。

そうやって、明確の理由が出てきて、そして周りが信じることが出来る段階で信じれない。ということはどういうことか? その明確の理由を払拭するのに時間がかかる性格、つまりは「慎重な性格」なだけということです。案外、理由がわかるだけでも不信感を拭えるパターンもあるので、まずは不信の原因を探すことが大事です。

では、ここからが本番になります(前半なげーな)。
考えても答えが出てこない。正しくは今考えているけど、すぐにその理由が出てこない。これは結構問題です。理由なき、漠然として不信感。下手した一種の精神障害かもしれないです。もしも遷延化したり重症化したりで、私生活に支障が出て来たら、専門機関への早期受診が必要になります。餅は餅屋。そういう人は本当にお世話になった方が良いです。医薬品やカウンセリング(傾聴)でよくなるケースは十分にあり得ます。

が、そんなしょっちゅうだけど、ちょっとするとよくなるんだよ。たまに生活に支障がでるけど……そんなんでいちいち病院行ってらんないよ! みたいな人いませんか? ちなみに私は「完全なる人間不信」⇒寛解⇒「発作性の人間不信」みたいな変遷をたどっているので、今はこれに該当する人です。(おすすめした本人は専門機関は受診してないんですが笑)

そこで重要なのは信頼できないのが人間だけであることに気が付くことだと思います。そもそも私たちは日々いろんなものを信頼して生きています。なぜ家で安心して寝れるのか、家が壊れないと信頼しているから。そんな風に非生物になら信頼が置ける人が多いと思います。(まあ場合によってはペットの動物OKな人もいるかもですが)

であるならば、もはや人間を無機物に捉えるのはどうでしょうか? なんか緊張しいの人が人前に立つときに人間を野菜だと妄想するように、人間を人間じゃない様に捉えることで、人間不信の波を乗り切ることが出来ます。

具体的な方法論としては、実はさきほどと変わりません。さきほどは信頼できない理由を考えるでしたが、今回は信頼できる成分を考える。その人間を切り分けて、人間性を除いたところで、信頼に足る部分を見つける。わかりやすいとは実績と経験ですね。過去にこういう事例の経験をしている、そして成功している実績を持っている。もっというなら金銭的な部分とかはすっごくバロメータとしてわかりやすいです。学生ならテストや評定なども指標になるかもしれない。

人間を全体で捉えるから信頼できないのであって、細分化して信頼できる部分を信頼する。しかし、言うだけなら簡単なので細分化するうえでの重要な勘所だと思う部分を書いて、この記事を締めようと思います。

①細分化しすぎない。
おいおい、さっそく言ってることが違うじゃないか。と思うかもしれないですが、細分化の「細」が悪いだけであって、大事なのは最低限分けることです。信頼できるレベルで切り取ることで、その人間の多くを信頼できていることになります。完全に信頼できる部分だけでなく、その周りの部分も信頼できそうならしておければ、その人間を真に信頼するときに新しく信頼する部分が少なくて済むので楽になります。

②人間性を失うくらいには細分化する。
①では将来を見据えるために、将来的には信頼するために出来るだけ大きくその人間を切り取って信頼すると言いましたが、大きく切り取りすぎてその部分に人間味があると、自分の心に嘘をついて、負担をかけて信じていることになる。こうなると、別に人間不信をコントロールできているわけではなくなるので、自分の解釈上で人間と認識できなくなる程度にはその人間の特性を切り分ける。

③長期的な部分を見据える
正直なところ、①は綺麗事で。将来的にはみんな信じれてハッピーっていう頭の中お花畑的な発想です。だから非現実的だ。であるから、長期的なことを言えば、「この人間とはもう関わらんな」って確信できるなら、正しくは「まあ一生信頼できなくても後悔しないな」と思うなら、その人間の大きい部分を信頼しなくていいし、人間性を失ったら実績や経験のみを信頼すればいい。

この辺りが私の思う勘所でしょうか? 結構とっちらかったのでまとめます

まとめ
⑴人間不信とは特定の誰かの信頼できないだけのことが多い。
⑵人間不信の改善の1ステップとして信じれない理由を探すことが重要であり、これが解決策になりうるときもあるし、解決策を見つける手伝いをしてくる。
⑶ガチで理由もなく信じれない時が長くて生活に支障があるなら、専門機関にお世話になる。
⑷短期的に対処的に人間不信をどうにかしたいなら、その人を人だと認識できなくなる程度まで、その人間の特性を切り分けてそれを信じる。

まあこんな感じでしょうか? まあ私自身は先ほど寛解と言いましたが、長くに渡って⑷をやっているだけであって、抜本的な解決を感じていない人間です笑 ただ効果は絶大だと思うので、ここにその方法論を示してこの記事を締めます。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:道の片隅で佇むモノたち

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