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選択肢を広げるのは良いけど、結局は削ることになる

過去投稿:2018/12/8

綺麗事って、すべてが綺麗なのではなく汚いところが見えないだけって話。

お久しぶりです。今回は「お勉強の話」です。

とある番組(島田紳助の「深イイ話」)で、とある娘さんが島田紳助さんに言った言葉が一時期話題になりました。橋折りますが、要点だけ抑えるとこんな感じです。

「勉強することで、将来の幅が広がる」

ということです。私も感銘を受けましたが、最近おやおやって思うようになりました。理由は選択肢を広げるのは良いけど、人間って優柔不断な生物じゃん、ということです。

勉強をしています。そして、選択肢は広がっていきます。じゃあ、いつまで勉強し続けられるのか? いつまで選ばずに済むのか? 実は難しい所がここにあります。そこを掘り下げていきましょう。(便宜上、大学卒業を仮定にします)

選択肢が増えていくのは良いです。小学校、中学校、高校と勉強していくのは良いでしょう。ではそのあとは? 実は大学に入る段階で、特殊な大学でもない限り、理系・文系のいずれかまたは学部を選ばないといけません。もちろん、東大のように一般教養課程が学部の最終決定要素にならない場所もありますが、ほとんどの大学が転部や再受験をしない限り、学部の変更はできません。

実はですね、勉強して好成績をとる、世間で出来る自分の幅を広めることを純粋にできるのは高校生までなんです。大学に入るタイミングで、突然絞られる。そして、就職すると遂に選択肢の幅が広がるどころか、自身の立場が固定されます。

全国の勉強をしている人々を馬鹿にしているわけではありませんが、選択肢を広げるのは良いけど、どこかで選択しなくてはいけなくなる。その選択する時に選択肢が多いと処理するのも実は大変。ということです。

先日、テレビで紹介されていた方で、ジュノンボーイで東大で医学部で司法試験に受かっている方がいました。とてもすごいことです。真似は出来ません。ただそこまでする必要はあったのかなとは漠然と思いました。

例えば、それだけの技能がある人間が「医師になる事確定して司法試験の勉強時間分も医学を勉強すれば……?」または「弁護士になることを心に決めて、判例をなどを医学的知識の代わりに覚えまくれば……?」 結果は出ている訳ですから、そこを考えるのは無意味ですがそう思うとどうでしょうか?

もちろん、一概にいくつかの分野を極めることが悪いとは思いません。マルチな側面を求められるのが今の世の中です。医療訴訟が問題になる面で医師という資格があり医療知識を持つ人間が弁護士を行う、または法学に通じる人が医療活動を行うことで患者との衝突が避けれる。悪くはありませんが、そんな単純でもありません。

例をいくつも出すと長いので割愛して、医師という資格があり医療知識を持つ人間が弁護士を行うことのみを言及すると、説得力は増すかもしれませんが、弁護士として意外にも医師としての責任が問われたり、そもそも裁判長や裁判員が医療について十分な知識を持っていなければ響かない可能もあります。

勉強することは悪くない、実際に選択肢が増える。しかし、増えた選択肢から選ぶことも重要ということです。

また私はその選択肢を選ぶ作業または選択肢を一本化する作業として、「研究」を推奨します。

研究とは自身の得意分野を広げるのではなく、掘り下げることです。選んで掘り下げるとその部分は深くなり、自ずと自身の進みたい、進むべき分野が明瞭化されていきます。またわざわざ選ばなくても研究していくと勉強してきたことが繋がっていき数か所に収束していくことも多分にあります。

私は思うのです。大人とはズルい。勉強させたいだけに、勉強の良い側面しか教えない。勉強をすることのデメリットを教えない。選択肢を広げることのデメリットを教えない。選ぶことの重要性や研究することの素晴らしさを教えない。

ただ決して、勉強がダメとは言いません。ただどんなことも良いことは、どこかで悪いことがあると言って、過言ではありません。勉強に限らず、何かをするときにはその代償はなんなのか? その代償は今払うのか、未来に払うのか? その代償の対処法は考えるようにするjことを勧めます。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

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