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時間は解決してくれない。解決してくれるのは経験だ。

綺麗事に反吐が出るって言う話。

なんかショックなことがあって、それが明確に何かが悪いという訳でもない時に、それが漠然とした悩み事になることはありませんか?
そして、それを誰かに話すと、「それは時間が解決してくれるよ」って言われることはありませんか?

これ、めっちゃ嫌いです笑

どうしてそう思うのか、構造から考えます。

大事な人との死別、災害による仕事の損失。それらは確かに仕方がないもので、俗言う「運」がなかった場合は多分にあります。もちろん、できるだけ運という要素に左右されないようにするのも大事なんですが。

そういった「運が悪かった事象」っていうのは誰も責めることが出来ないがゆえに、発散できない悩み事として形成されます。それに対して、人は「時間が解決してくれる」っていうんです。

最初に「嫌いだ」と書いたうえで、こういうのも変なんですが、「時間が解決してくれる」は合ってて間違ってると私は思うんです。言わば、△なんです。〇でも×でもなくて。

時間が経つと、なぜどうしようもない悩み事は消え失せるのでしょうか?

それはズバリ「今の悩み」が「過去の悪い思い出」になるからではないしょうか? 自分の中で思い出になっているので、思い返すことや後悔することは出来ても、「どうしようも出来ない」と確信しているから、悩み事は解決している。(正しくは気にならなくなる)

でも、これって本当でしょうか?

言わばですね、「過去の悪い思い出」に変換するのは「時間」自体によるものなんでしょうか? それとも時間とともに得ているナニカによるものなんでしょうか?

具体例を出して考えましょう。
いじめを契機に引きこもりになった少年、その記憶は今も克明に覚えていて10年経っても家に引きこもっている。時間は解決していますか?
失恋を契機に誰かを好きになることを避けるようになった少女、昔の彼が忘れられないまま中年女性になってしまった。時間は解決していますか?

そうなんですよ。時間は万能ではないんです。もちろん、反論として、これはただ一例にすぎないと考える人もいると思います。ただ大事なのは誰にとっても「時間」は解決してくる道具にはなりえないということを話したいんです。

じゃあ万能なのはなんなのか? それがこの「時間が解決してくれる」の言葉の裏にある本質であり、今回のタイトルである「経験」なんですよ。

さっきの例をもう一度考えますね。
いじめを契機に引きこもりになった少年。でも社会復帰した少年もいる。きっとそこには、助けてくれる家族や友人と遊んだり話したり、時に喧嘩したりなどがあるでしょう。ゲームというコミュニティで誰かに出会ったり、ネットの掲示板で誰かと知り合ったりしたことで脱出できたのかもしれません。
失恋した少女はどうでしょうか? 理想的な男性に運命的に出会えたのかもしれません。根気よく遊びに誘ってくれた男の子に根負けする形で恋愛に戻れるかもしれないです。はたまた親友の彼氏との関係が羨ましくてまた恋愛するかもしれません。

人はただ漫然と時間を過ごすだけで何も進まない。何でもいい、何かをして、時に遊んだり話したり喧嘩したり、そんな経験をする。運命的な出会い、しつこいともいえるアプローチ、嫉妬や羨望などの感情を、そんなふうに経験する。

時間が経つということは受動的にそれらの経験に恵まれる可能性が高まります。でも、それは環境による。
いわばですね、
「いくら物理的な時間を過ごしたとて意味はないんです。大事なのは心の時間を進めること。それを進めるのは”経験”なんです」

もしもあなたが誰か大事な人がどうしようもない悩み事をしている時は、「時間が解決してくれる」とは言わないですください! とは言いません笑
ここまで書いたことを言うとか、凹んでる人への追い打ちでしかないですからね。だから、「時間が解決してくれる」と声をかけてください。でも、そこでは止まらずに、色んな事を誘ってあげてください。

言葉の上では「時間」でいい。でも、心の中では「相手の経験値になりうる何か」を提供してあげて欲しいですね。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:DQ11の忘れ去られた塔っぽくない?笑

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