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恋とは面白く始まって、つまらなく続き、興味深く終わるモノ

2017/3/9 過去投稿

俗物に特化した話もしておこうかな、とか思ったりして。

今回する話は恋愛を分析して、明確に分け目は作れない場合もあるが大きく三区分して考察しちゃうよ!

恋愛は三区分に出来ます。まずは①恋に落ちて付き合うまで。次が②付き合ってから終わりかけるまで。最後が③終わりかけから恋が醒めるまで。

じゃあ話を展開させませう。

②は正直つまらない。この世にカップルの惚気話をきいて面白いと感じる人はいるだろうか? そりゃ芸人みたいな会話をする友人関係みたいな恋人の会話は面白いかもしれない。しかし、普通の話はほっこりはするかもしれないが、ほとんどがつまらない。

私の大好き作家大先生、森見登美彦も彼の書の中でこう語っている。

『成就した恋ほど語るに値しないものはない』

ということで、恋愛において楽しいのは恋愛が続いている時かもしれないが、つまらないのだ。まあこう考えると、ナンパ師などが付き合うまでを楽しんだしり、DV男が付き合うまでは優しいって言うのも理性的に理解できるような気もする。

では①や③について語っていこう。ただ両方ともわざわざ私が語るのが必要なはずがない。ある程度生きれば、身の回りで恋愛とは起き、そしてその無類の面白さは皆が存じているはずだ。先ほどの際大作家先生の言葉をオマージュすれば

『娯楽と認められた娯楽ほど語るに値しないものはない』

といったとこだろうか? それは付き合うまではあーだこーだと心の揺れがあって、平和の外にある幸せが楽しいし、つまるものだ。終わるときも同様にそこには多かれ少なかれドラマがあり、皆落ち込んだり喜んだりするものだ。それは面白いに決まっている。

では少しだけこの話を関係がない方へ展開し〼

先ほどチラリと言ったが、①や③というのは幸せはない状態で安定している。でもそこに不安定な喜びや悲しみという雑念が混じる。対して、②は幸せという安定を手にしているものの、つまらない。

某一万円札の人も言っていることに類似している。彼はこう語っている「自由は不自由の中にあり」また同時に自由の中には不自由がある。

つまりは人間は自由すぎる環境では何をすればいいのか見出せず、むしろしたいことができない。逆に拘束条件など不自由であればあるほど、そこにある自由さを見つけそこを楽しむ。

これ同様なことが幸せにはある。幸せとは不幸の中にあり、不幸もまた幸せの中にあるのだ。幸せしか知らない者には不幸しか訪れない。不幸しか知らない者は幸せしか訪れない。

時に我々が不幸に感じた時は視野を広げて、自分の不幸が幸せの中にあることを自覚する必要がある。またそうすることで幸せを感じれるようになる。

まあまた結局は処世術に落ち着いたな。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:台場

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