大人になりたくない。人間として成長したい

2017/2/28 過去投稿

私が思う成長論をちょっと語ってみようかなっていう感じで。

どーしよかなって思ったんだけど、二段構成にしようかと、

①我慢と妥協は違う話

②責任感の共合わない成長はない

こんな話をしたいっすね。責任の方はまた今度で。では、我慢と妥協の話を展開していこう。

皆さんは、日常生活で我慢はしている? 妥協はしている? 多分していない人はいないんじゃないかな? でも、自分が今、我慢をしているのか、妥協をしているのか。それを認知している人は少ないんじゃないかなって思う。じゃあ、例によって国語の辞書から意味を確認しよう。

我慢……辛い事を耐え忍ぶこと

妥協……主張が対立している場合、互いの主張を幾分かずつ譲り合って、一つの結論・取決めを導き出すこと

改めて調べてみたら今回話したいコンセプトとちょっとズレがあるので、妥協の方の意味に一味足しておきます。「幾分か」とありますが、これは5:5で譲ってもいいし10:0で譲ってもいい。つまり一方のみが譲るということもあるということを覚えて欲しいです。じゃあ展開し〼

具体的に僕の解釈の上でのこの違いを比喩を通して、理解して貰う前に先に結論を述べておきます。

『我慢とは成長するうえで必要ではあるが、妥協とは大人になる上で必要』

では我慢と妥協の違いを述べていこう。以下の比喩を読んでみて欲しい。

目の前に10m先に津波発生装置がある。そこから波が発生して10m前にいる自分に波を打ち寄せてくる。このときに

1、その場で耐え忍ぶのが、我慢

2、少し下がって波を弱めるのが、妥協

重要なのは我慢はしても自分の位置は移動しないが、妥協をした場合はその位置はズレる。

これを抽象化しよう。位置を意見に、位置をずらすことを意見を相手側に寄せる。と考えれば、何が私がいいたいことか見えてくるはずだ。

俗的な言葉で言ってしまえば、我慢とは意見を主張することをとめる事、妥協とは意見を曲げる事っていうことだ。

妥協が別に害悪とは言わない。この世で自分の思った通りになる事なんて稀だし、譲り合うことが重要のは百も承知だ。しかし、それは妥協というものが作り出す「闇」をちゃんと知った上で、動かなければならない。そんな妥協の生んだ「闇」についてここに2例ほど記そう。

例1

いじめられっこの女の子の話。彼女はいじめを受けていた。初めは簡単なのもだった。嫌いなあだ名でクラスのイケイケ系のメンバーに呼ばれ弄られる。だから彼女は我慢した。

気付いたら、そのあだ名がクラスにニックネームのように浸透してクラス全員がそう呼ぶようになった。だから彼女我慢した。

またふと思うとそのあだ名は学年に広がった。自分が我慢が出来ないほどに、でも身をひっそりひそめた。なぜなら、自分が我慢をしなければ自分の周りにある数少ない友人との友情も壊れてしまいそうに思えたから。

ただいじめがより激化した結果、教師の目に留まり、教師の一喝でいじめ事件は収束する。その時、初めて彼女は気付いた。自分は我慢ではなく、妥協をしていた、それも一方的な。自分のちっぽけな幸せを守るために、自分の日常を犠牲して。その時に味わった喪失感。本来自分が居たかった場所から随分と遠のいた今の居場所。彼女は精神病にかかった。

「なんで私はあんなに妥協してしまったのだろうか?」

この例では少女は自分に我慢と嘘ついて妥協を施し、それによって自分の幸せの基準や不幸の水準までいじっていたことを知って、壊れてしまった例です。次の例へ。

例2

初めてできた彼女、大好きな彼女がそばにいることに喜びを感じてた青年。ただ彼女の行動がだんだんと雲行きが怪しくなってくる。

彼女はほかの男の子と仲良くなっていき、デートは家デートのみになっていく。でも、それは自分を信頼しているからこその行動だと自分に言い聞かせれ我慢する。

彼女は自分の行動を監視し始める。一緒にいない時間、彼女のせいでできた時間的デッドスペースなのに何をしていたのか? 誰と連絡をとってるのか聞いてくる。

そして、数日後、彼女の浮気が発覚して別れる。自分の行動を監視していたのは気になるからではなく、自分がしているから相手もしているのではという疑いからだった。彼は彼女に対して、抱いていた愛が逆に自分を苦しめ、大学をやめた。

この例においても一方が妥協しており、その妥協が大きければ大きいほど本人が傷つくことになっています。

結論;何が言いたいか? 妥協とは自分の思想、つまりはアイデンティティーを封印すること。強く言えば、自己否定の一種に分類できる。

だからこそ、妥協とは危険を孕むものである。私たちがすべきなのは妥協は避ける事。そして、妥協をする場合は痛み分けにする。相手とだいたい同じ程度に妥協をして、同程度に傷つくのが大事なのです。

最初の結論に戻るが、妥協とは大人になる上で必要、としましたが、それはなぜか?

人とは年を追うほどに心が汚くなるものです。いつしか人間はあのころはこんなことを考えなかったのに、ってなる。その原因とは純粋な思想や意見を曲げること。その曲げることに大きく関わってくるのが「妥協」である。

だから私は希哲学に身を投じるものとして思う、純粋な思想こそが希哲学に必要であるがゆえに、妥協は邪魔な存在。だから我慢はするが、妥協はしたくない。成長はしたいが、大人にはなりたくはないと強く思うのだ。

今日はここまで。②の方、責任感についてはまたいつか

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

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