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恋人に愛玩動物名をニックネームとしてつける人の心情が意味わからん-異常なくらい偏ったことを書きたい⑥

なんかたまに、自分の恋人は犬君と小猫ちゃんとか言ってる人いませんか? あれ、全般私は嫌いなんですよね。いや、なんか恋人同士のシャットアウトされた会話で、「○○くんって犬みたいでカッコイイね!」「○○は子猫みたいで可愛い!」っておのろけトークをするのは全然良しとして、てかちょっと憧れるとこありますが、それを他人に持ち込む人の心情が気がしれん。

皆さんは犬やら猫やらの愛玩動物のようなニックネームで扱われることをどう思いますか? まあそんなことを気にしない人の方が多いでしょうが、こういうとこに気を使える人間が私は好きと言うか、凄いというか当たり前だと思います。

そもそも論の話、愛玩動物いわゆるペットは飼ってる人にとっては家族かもしれませんが、そうじゃない人にとっては動物の領域を超えません。可愛いかもしれないですが、それは動物としてであって、他人からすれば多くの場合で別に愛情がある訳ではない。動物というものは残念ながらほとんどの人の認識では家族ではなく、飼われている生物なんです。

ペットを飼っている人でも動物園の象やライオンに家の犬や猫のような愛情をすぐに向けられるか? と言えば無理なんじゃないでしょうか?
そもそも論、犬や猫を飼っている人も客観的な評価としては「飼っている」いわば「養っている」わけで、家族内の認識ではペットの領域を超えない。たまに励ましてくれたり癒しになったりはあるかもしれないですが、それは人間の家族とは一線を画すはずです(ほとんどの場合で)。

で、そんな愛玩動物扱いを恋人に向けるということは私からはありえない話です。正しくは、その扱いを他人にも認識させることがありえない。

「私は自分の恋人を犬や猫のように思っています」
それって何にも意味なくないですか? むしろ、恋人は犬や猫のように自分の世話がない生きていけない非自律的な残念な人間と表明しているようなもので、もっと言えばそれと付き合っている自分もペットのような扱いを受ける情けない人間と付き合って残念な人間と言っているようなものじゃないですか?

最初に書いたように、2人の間で内々にそういうことを言い合うのは良いんですよ。おのろけですから。でも、それを大衆に表明したときに、凄くダサいし情けないと私は思うんですよ。

恋人が犬や猫と同等な扱いである。恋人に犬や猫と同等な扱いを受けている。なんて悲しいんだ。

俗言う、「この恋人は私または俺の物だから他の人に手を出してほしくないアピール」は別に犬猫扱いしなくても出来るじゃないですか?
「こんなに私たちまたは俺たちはラブラブなんだよ自慢」も別に犬猫扱いしなくても出来るじゃないですか?

わざわざ自分の最愛の人(恋人)の評価を落としてまで言うニックネームか? そんなに可愛げのあるニックネームか?
自己中心的な私からすれば、それをやっているのに自分に対して講義をしてこない情けない男又は女と付き合っている自分への評価も落ちて耐えられない。

いや、もはや家族の一員であるペットと近いくらいまで心の距離を狭ましたという事実は良いと思う。でも、それを大衆的に表明する(SNSとかに書く)というのはいかがなものかと私は思うのですよ。

愛する人だからこそ、人により良く見えて欲しい。そう思うのは理想主義なんでしょうか。

写真:DENGAKU

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