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人生はプラスマイナスゼロは考え方としては割かし好き

人生はプラスマイナスゼロではないけど、近似できるような話。

よく「人生はプラスマイナスゼロ」という言葉を耳にしませんか? それに対して多くの人が異論を唱えることが多く、私もその一人ではあります。しかし、プラスマイナスゼロというものは非常にあいまいな表現で抽象的です。

例えば、宝くじで3億当たるのと詐欺で3億を騙し取られるって、金銭的には足し合わせたらプラスマイナスゼロじゃないですか? では、大好き恋人ができるのと親友と絶交するのって、プラスマイナスはどうなりますか?

人生はプラスマイナスゼロ説の致命的な欠陥は、すべての事象に共通するような「単位」がない。いわば、幸福の単位がない。もしも幸福の単位が存在していれば、それを数値的に考えれば人生のプラスマイナスを計算できるのでこの説を立証(または否定)できるでしょう。

それにさっきの金銭的な話にしても、詐欺で3億だまし取られてから宝くじで3億当たってとして、詐欺の方は犯人が捕まれば返還や保証があるかもしれないし、宝くじだって税金やら先行投資(宝くじ代)で引かれるかもしれない。厳密にプラスマイナスゼロかどうかは不明。何が言いたいかと言えば、もしも幸福の単位を金銭として返還してもそれを額面通りに受け取るのは難しい。

ただこの理論において、すごく優れているなーと思うことがあります。人間の心情の変化を考えるとわかりやすいのですが、幸福度が高い人間は幸福な事象に遭遇する確率が下がり、不幸な事象に遭遇する確率が上がる。その逆も然りである。これは、幸福度が高い状態で維持されると、その日常が基準となり「当たり前」になるので、幸福を感じにくくなり同時に不幸を感じやすくなる。俗言う、「ハードルが上がる」っていう状態ですね。

つまり、幸福または不幸な出来事が生じるとともに、次の事象に対する幸福不幸の判断の基準が上がったり下がったりする。いわば、今プラスの人はマイナスになりやすいし、今マイナスの人はプラスになりやすい。

これを単純にプラスの次はマイナス、マイナスの次はプラスと乱暴に言い切った結果(プラスやマイナスの絶対的な量を無視したうえで)、「プラスマイナスゼロ」という考えが生まれたのだと思います。

もちろん、この発想は多く人の中で深層心理のような自分が意識できる部分を下で考えられているものだと思いますので、実際にそう思っているかは定かですね。

ただこう思うことはすごく自然なことです。というか、人間の防衛本能だと思います。嫌なことがあった時に良いことがないと生きるモチベーションを維持できない。逆に良いことがあった時に失敗しないように次にマイナスが起きる可能性を排除しない。生きるすべとして、「プラスマイナスゼロ理論」は脳のリソースを最低限を割いたうえで、モチベーション維持をすることができる、最適化……いや最も単純化された理論だと私は思います。

ということで、私は大きな意味では「人生はプラスマイナスゼロ」だと思います。但し、それは基準が動いていることが前提で正確ではない。だから、細かく言えば、「人生ではプラスの後はマイナスを感じやすいし、マイナスの後はプラスを感じやすい」という当たり前のことを支持していきたいと思います。

人生の通説としてこの考えが人間のそれなりの長い歴史で提唱され続けているのは、優秀であるがゆえで、この考えにおいては「人間の正義と希望」や「処世術」が含まれていることが提唱され続けた一因だと私は思います。

まあ、人生がプラスかマイナスかゼロかを考えるのは死ぬときなので、それまではある程度の期間を切り出して考えた方が良いと思いますね。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:イルミネーション


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