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Another One Step of Courage 第4章:初めてのデートと初めて見る彼女

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 背中には緑の屋根で赤い壁の江ノ島駅。目の前にはデカイ観光名所を表す看板。ふと腕を見れば、時計は七月二十日午前十時五十五分を示している。待ち合わせは午前十一時、振り返って小田急の電光掲示板を見る。すると、十時五十九分に着く電車があるみたいだった。俺が着いたのは四十七分。たったの十分強の時間だけど、もどかしかった。駅から降りる人はみんなカップルで、手をつないで江ノ島へ歩いていく。俺のように現地集合の人はあまりいないみたいで、俺のように恋人を待つ人は三人くらいしかいないようだった。こうやって待っていると、やっぱりどこかに集まってからふたりで来る方がよかったのではとか、このまま来ないんじゃないかっていう不安に駆られる。もしかしたらあまりに格好がダサくて、椋乃は横に連れて歩きたくないって思って来ないだけでそばにいるのではなんて思ってしまう。こんなにドキドキしたのなんて、初めてだった。何回も江ノ島の方を見たり、駅の方を見たりしていると、ついに五十九分になり電車がやってきた。たくさんの人が降りたが、俺には輝いて見える人がいた。その人は胸に細くて黒い紐のリボンがついている白いワンピースを着て、綺麗な白いパンプスを履いて、頭には涼しそうな麦わらを被っていた。その人はゆっくりと歩いて、改札口に白いバックから取り出した切符をいれると出てきて、俺に近寄ってきた。

「やっほ」

 その人は椋乃だった。コートを来て寒そうな椋乃、ダルそうに制服を着ている暑そうな椋乃、セーターで指を隠して暖かそうにする椋乃、どの椋乃でもなくて俺は言葉がでなかった。

「なんで、絶句してるの? そんなに変かなこの格好」

 彼女は目線を上にやり、麦わら帽子に手を当てながら言った。

「いや、変じゃないよ。……あまりにも綺麗だから見とれてただけだよ」

「なに恥ずかしいことを言ってるの。まったくもう」

 彼女の頬は赤く染まった。でも、麦わら帽子の影に隠れて、なんとも言えない赤に染まった。そうだ、俺は学校で一番可愛い人と付き合ってるんだ……。

「……実はね、この格好あなたが好きだろうからしてきたの」

「すごく好きだけど、そんなことを言ったけ?」

「ううん。言ってないよ。でもね、昔あなたが携帯の待受にしてた絵、こんな感じの格好の子が海を見てる絵だったでしょ?」

「ああ、あれか。あれは確か君が「なんでそんな季節はずれの待受にしてるの!」って言ったから変えたんだよな」

「だって、言ったのは冬だもん。流石にそのツッコミはするでしょ。でもね、私もあの絵好きなんだ。だから、私も……」

 椋乃は携帯の待受なんていう些細なところも見てたし、覚えてくれたなんて……俺はふと椋乃の今の待受の写真を思い出そうとした。でも、出てこなかった。そして、もちろん椋乃の過去の待受の写真も思い出せなかった。俺は椋乃が俺を見てくれているように、椋乃を見れていないことに気が付かされた。そんな俺を今も笑顔で見てくれる椋乃……ごめん。

「ねえ、楠雄? 楠雄!」

「あ、ごめんごめん。ちょっとぼーっとしてた。じゃあ、行こうか、水族館」

「うん」

 椋乃は俺の腕を掴み水族館を目指してグイグイ歩いていく。

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 水族館なんてくるのは小学校の遠足ぶりだ。水族館は不思議なところだ、あんな生臭くてグロい魚も間接照明に照らされ神々しい他の生物のように見えるのだ。そんな生物の美しい姿に感動をしながら、椋乃もそれに感化されているよういだった。

「水族館なんて久しぶりに来たけど、とてもいい雰囲気ね」

「ああ、そうだね。……椋乃はどんな魚が好きなの?」

「なにその質問? でも、なんか魚というよりもこんな雰囲気が好きなのかも」

 椋乃の白いワンピースも水槽から漏れた照明の光を反射して煌びやかに光っている。まるで天女のようだった。そんな椋乃が横に恋人としていてくれるのは誇りにすべきことなんだと思う。でも、なぜだろう……こんなにも君を遠くに感じるのは……。

 その後、二人でイルカのショーを見たり、ペンギンの餌やりを見たり充実した時間を過ごした。水族館とは意外と小さいもので二時間と少しで回り終えてしまう。そこで、江ノ島の本島に渡ることにした。椋乃は白子丼を食べたいらしい。水族館を出て、江ノ島まで歩いていく。椋乃は水族館の中では外していた麦ら帽子を被り直して歩いた。

 江ノ島への橋への直前、ビューっと海風が吹いた。椋乃は急いで帽子を抑えようとしたが、間に合わず彼女の麦ら帽子は浜辺に飛んでしまった。

「あっ!」

 椋乃は帽子を追いかけて、浜辺に降りて、追いかけていく。俺もそんな椋乃を追いかけた。すると、帽子は真っ黒に焼けたサーファーっぽい男の足に当たって止まった。男は麦わら帽子を拾い上げた。椋乃はその男に近づいて、帽子を返してもらいかぶり直した。俺は帽子が戻ってよかった、と思い走るのを止めて歩いて椋乃の方へ行った。でも、様子がおかしい、帽子を返してもらったのに男は椋乃の肩に腕を回し、話しかけている。俺はまた走り出した。

「おーい、椋乃」

「楠雄! ちょっと」

 椋乃の声は明らかに困った様子だった。椋乃の横に着くと、男は「チッ、彼氏持ちかよ。にしても、釣り合いのとれない彼氏だな」と言ってその場から離れてしまった。

「楠雄、ありがとう!」

「ああ、うん。大丈夫だった?」

「うん、大丈夫」

 椋乃は幸せな様子だったが、俺の心にはなにかイガイガとしたものが残ってしまった。

『釣り合いのとれない彼氏だな』

 俺には椋乃はもったいな……。

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 江ノ島の本島で白子丼を食べ終えると椋乃は満足そうだった。満腹そうな椋乃は江ノ島の観光ガイドを机の上に出して、話しかけてきた。

「今ね、二時半でしょ、洞窟って営業時間があるみたいで、五時までみたいなの。普通に回っても五時までには洞窟に着くと思うんだけど、一応時間に余裕を持ちたいから、先に洞窟行ってから、また神社に戻って普通に回りましょう!」

「わかった。じゃあ、そうしよっか!」

「そうとなれば、お店でて洞窟探検よ!」

 椋乃はニヤニヤしながらそう言った。きっと楽しみで仕方がないんだと思う。俺の前以外の学校での気丈で潔癖な雰囲気な椋乃とは大きく異なって、椋乃は無邪気で子供っぽかった。店を出たあとも、俺の腕を引っ張りながら洞窟へ無邪気に向かっていった。洞窟でロウソクをもらって大興奮して、亀石を見て大興奮して、まるで椋乃の保護者をやっている気分になった。でも、別に嫌な気分はしなくて楽しかった。

「ねぇねぇ! 今度、ここ行こ!」

 と言われて、ついて行くと海風で軽く錆び付いた鐘のある場所に引っ張られた。その鐘の前には塀があり、その塀には隙間なく南京錠が掛けられている。途中の看板によると龍恋の鐘というらしい。

「ここはね、龍恋の鐘って言ってカップルのスポットなんだってさ!」

「へぇーそうなのか」

「それでそれで、ここに『二人の愛に鍵をかける』っていう意味で南京錠を掛けるんだってさ!」

 椋乃は楽しそうにそう言うと、掛かっている南京錠を触りだした。

「でもね、初デートで早速掛けようなんて、私は思ってないの。だって、そんな軽い気持ちで二人の間に鍵をかけていいものだとは思わないから」

「それは同感だな。きっとここに鍵をかけたのに、もう疎遠になってる人たちもいるだろうしね」

「だから、今日は鐘だけ!」

 椋乃は俺の手をとって、鐘を鳴らすための鎖に誘導した。文芸部の彼女曰く、それは鐘の舌ゼツというらしい。二人で舌を握って、揺らした。

 カーン!

 鐘の甲高い音は江ノ島の海に飛んでいって、ひっそりと薄くなっていった。

「これからも一緒にいようね! 楠雄!」

「そ、そだね」

 その鐘を鳴らした後も、彼女に連れられて有料で展望台のある植物園のようなところに入り、その中にあるフレンチトースト専門店に入った。白子丼だけでは少し足りなかった俺と椋乃のお腹には一人分のフレンチトーストがちょうど収まった。食べ終わって、食後のドリンクを飲みながら、椋乃はなんとなくしゃべりだした。

「あの展望台……江ノ島シーキャンドルって言うらしいよ」

「へぇー、まあ、言われてみればロウソクっぽいかな」

「冬になるとイルミネーションがついて、綺麗になるらしいんだ」

「じゃあ、今度来るときは冬にしようか」

「まあ、今年度は無理そうね。だって、大学入試だもの。ちゃんと受かるように祈らないと。そういえば、ここの神社が祀ってる七福神って誰か知ってる?」

「ん? 弁天でしょ? さっき書いてあったよ」

「そのとおり。でもね、弁天様を祀ってるところってカップルを別れさせるところが多いらしいの」

「え、マジで? なのに龍……なんとかの鐘なんて置いてあるの?」

「龍恋の鐘ね。あんまりこういうのって信じたくないけど、今日は神社には参拝しないつもりなの」

「俺も一気にお参りしたくなくなったわ。そういう縁起物って気にしないけど、なんか嫌だもんね」

 椋乃はそんな調子で、調べたことを教えてくれた。俺も多少は調べていたが、椋乃の方がその数倍調べていて、さっき以上に椋乃がこのデートを楽しみにしていたことがわかった。

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 ガタンゴトン、ガタンゴトン

 楽しい時間はやはり過ぎるのが早い。俺たちは既に江ノ島から駅のほうに戻っていた。椋乃の希望で帰りは江ノ電で鎌倉周りで帰ることになった。江ノ電は海沿いを走るちょっと古風な電車で、乗っていると車窓から見える江ノ島がだんだんと離れていくことがわかる。江ノ島は夕日に照らされて、さっき登った江ノ島の展望台は赤く光り本当のロウソクのように見える。

「ロマンチックね……」

 椋乃は体を斜めにそらせて車窓から、離れていく江ノ島を見ながら言った。

「そうだね」

「今日は楽しかった。本当にありがとうね! 楠雄はどうだった?」

「楽しかったよ。一日、君と一緒にいたなんて初めてだったしね」

「そう……また来たいね」

 椋乃はそう言うと、俺に寄りかかってきた。椋乃の髪が肩に触った瞬間は胸が驚きで高まった。もしかしたら激しくなる心音を聞かれたかもしれない。

「ねぇ、楠雄?」

「うーん」

「あなたはどこの大学に行くの?」

「え、突然どうしたの?」

「いやさ、学校でも予備校でもどこもかしかも『夏が勝負(受験)の分け目だ』なんて言ってるじゃない? だから私もあなたも勉強すると思うの。そしたら、このデートが受験の前の最初で最後……下手したら高校時代の最初で最後になるかもしれないって思って」

「そうかもね、俺はまだどこに行くかなんて決めてない。でも、自分の一番したいことが出来る場所に行くよ。でも、、どうして大学を聞いたの?」

「いやさ、こんなデートが大学生になっても出来るのかな? って思って。同じ大学なら確実にできるなーなんて」

 俺の口から「もしも違っても絶対にこんなデートをしようよ!」なんて言うセリフは出なかった。いや、出したいのに出なかった。それは自分に椋乃はあまりにいい恋人で、その格差から椋乃がその時まで自分の横にいてくれるか、なんてわからなかったからだ。

「……できないかもね」

「そ、そうだよね……」

「そういえば、椋乃はどこに行くの?」

「内緒」

「なんだよ、それ」

「フフフ」

 椋乃は静かに笑った。でも、なぜだろうか、その笑いからはなぜか悲しみとか寂しさみたいなものを感じた。椋乃はそう言うと眠りだした。江ノ電は短いのに寝てしまうなんて、余程疲れてしまったのだろう。寝息が耳元で囁かに響く。

 鎌倉に着けば、椋乃は勝手に起きた。そのまま二人で鎌倉のJRの駅のほうに向かって歩く。鎌倉駅はなんだかわからないくらい混んでいた。時間的に午後の帰宅ラッシュの時間帯だが、それでもとても混んでいた。二人で改札口に向かうと、先導して歩いていた椋乃がサラリーマンの男に押されて、俺のほうに飛んできた。俺は立ち止まり、椋乃の肩を受け止めた。受け止められた椋乃は俺のほうに振り向いた。

「……ありがと」

「……うん」

 椋乃の顔は目の前にあって、その距離は十センチもない。あまりに近すぎるためか、心の中になんだかあの気持ちが湧いてきた。椋乃の顔は次第に赤くなり、顔をこちらに向けたまま体もこちらに向けてきた。周りは人がたくさん歩いているのに、俺と椋乃のだけの空間がそこにはあった。赤くなった顔を一度下げて、椋乃は目を閉じてから俺に向かって顔を上げ直した。椋乃もそういう気持ちになっていることがわかった。俺は自分の顔を椋乃の顔に近づけていった。でも、唇と唇がくっつくちょっと前の瞬間、心の中になんだかわからない違う気持ちがあった。その気持ちはこんな公共の場でキスをする背徳感だったのかもしれない、自分には椋乃はもったいないという劣等感だったのかもしれない、たった十センチも詰められない自分の勇気のなさだったのかもしれない。でも、その気持ちのせいで俺は椋乃にキスをすることが出来なかった。目を閉じて待ってくれている椋乃の手をとって、そのまま改札口へ歩き出してしまったのだ。握った椋乃の手は異常に力が入っておらず、俺に対しての喪失感が強く感じられた。

帰りの電車の中でも話すことなく、家に送ると言ったのに、「一人になりたい」と言われてしまった。俺はやっぱり、キスをするべきだったのだろう……自分への絶望だけが心に残ってしまった。

写真:水牛?

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