見出し画像

運がいい人の正体

本当に運がいい人って人がイメージする運のいい人じゃない話。

皆さんは運とは何だと思いますか?

スピリチュアルな人は前世にいい行いをした人って言った見たり、数学的なロジカルを持つ人は確率学的な側面で考えたりする人もいるでしょうか?

運がいいってなんなのでしょうね?

出掛ける時は大体晴れ(晴れ男・晴れ女)、色んな人に奢ってもらえる、宝くじが当たる、などなど、運がいいとは数多の種類がありますが、実はほとんどは人間の特性で説明が付けられるのではないかと私は思っています。

私も数学的なロジカルをどちらかと言えば用いる人です。基本は確率的に考えます。そこから、運のいい人の正体に迫っていきたいと思います。

まず、宝くじに当たるですが、これは本当に運がいい人です。イカサマや不備がなければ、どの宝くじの番号に等しい当たる確率が振られています。それの確率をあげたいなら単純にたくさん買えばいい。私が思うにここが「運のいい人」の条件なんだと思います。

どういうことか?

「発動する確率をあげることが出来る事象があって、それの確率をあげるという行為を十二分にしなくても発動できる人」、それが「運のいい人」なんだろうと思います。

じゃあ、出掛ける時に雨が降らない人が多いはどういうジャンルことなのか? 私が思うに、長い人生ですから雨が降ることなんてあると思うので、でも本人がそう感じるのはきっと「雨が降らないで欲しい」と思う外出の日に降らない、ということなんですね。この裏には出掛ける予定を立てる時に天気予報を確認する習慣がある人であったり、そもそも論感覚で雨が降りそうな日とかを推定出来たりしてる人だと思います。前者の天気予報を確認する癖がある人は確かに人工の晴れ男/女になれると理解できると思います。後者どういうことかと言えば、わかりやすい例を言えば天然パーマの人は湿気が強い日に(雨が降りやすい日に)髪が縮れて出かけたくなるのが億劫になるなどです。

つまり、体質や感覚(第六感ではなく視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚)から知らず知らずの内に運のいい方向に導いてる人がいる可能性を示唆できるということです。

他にあげた例だと、「色んなとこで奢ってもらえる人」が運がいいとしましたが、これはもっと単純です。服装や髪形の外見的に大衆的に気に入ってもらいやすいだとか、そもそも話術に長けているなどがあげられます。

たまに電車の中吊り広告などで「運を手繰り寄せる」みたいな本が紹介されているのを目にしますが、私はそれは可能だと思います。習慣・体質・5感・外見・話術、それらを極めることで、他人が「運がいいねー」って言ってくるような事象を人工的に引き起こす。

ただこれって運がいい人ですか?

ここで最初の定義に戻ります。

「発動する確率をあげることが出来る事象があって、それの確率をあげるという行為を十二分にしなくても発動できる人」、それが「運のいい人」、とすれば、これは「習慣・体質・5感・外見・話術などを極めた人」は「努力した人」であって、運がいい人ではない。

あえて言うならば、努力もせずにこれらの「習慣・体質・5感・外見・話術などのスキル」が生まれた時から高い水準な人は「運がいい人」と言えるかもです。他にも幼少期に親や学校の教育でこれらのスキルが身についた人は「努力した人」に巡り合うことができた「運のいい人」とも言えるかもです。

つまり、人々が何気なく「運がいい」とする人の裏にはほとんどの場合で、運ではない必然的な因子(今回は習慣・体質・5感・外見・話術などのスキル)が大きく関わってきてるということですね。

「運がいいな、こいつ」って思ったときはチャンスです。その人の持っているスキルを知って、自分に盗むいいチャンス。ガンガン盗んでいい人生にしましょ。

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:高尾山より天狗の石像

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?